<ネゲブの流れ> ―459―2017/6/25
「光をあらわに」 ルカ8:16~18
「はいって来る人々に、その光が見えるためです。」 ―ルカ8:16-
イエス様はご自分のことを「世の光」だと言われました。私の人生を振り返って見れば、19歳でイエス様を信じた時も、5年前に信仰のリバイバルを頂いた時も、真っ暗闇の人生に明るいあかりが灯されたようなものでした。そのあかりとはもちろんイエス様です。あかりを燭台の上に置くということで、その素晴らしさと私達のすべきこととを考えたいと思います。
①光なるイエス様。―私の暗闇とは、精神的未成熟さから来る不安と恐れでした。しかしイエス様に信頼しながら生きる時に、自分も成長して力が与えられ、環境も最善に備えられて、平安と確信の歩みができるようになりました。このような光なるイエス様を、多くの人に紹介して行きたいと思っています。
②闇の正体。―光の中を進みながら、私を覆っていた暗闇の実態もわかって来ました。イエス様が「隠されているもので、あらわにならぬものはなく」と言われている通りです。それは封建的精神構造が持つ支配の発想から生じたものでした。暴君的父の言動ゆえに正常な精神的成長ができていなかったこと。またその未成長な私を利用して支配と搾取を続けた配偶者。さらに未成熟なキリスト教団からの支配と圧力と排除が重なりました。そのように光なるイエス様は、私を苦しめていた暗闇の実態をもあらわにして下さいました。
③聞き方に注意。―光なるイエス様が、方々を照らしながら隠れたことをも明らかにされているとしたら、私たちはイエス様によく聞かなければなりません。聖書をよく調べ、その意味を祈りの中で尋ね求めなければなりません。よく聞き、見極めて、御心にかなった歩みをしなければなりません。終わりが近いのかもしれません。持っているものを最後まで保つためにも!
今回の工作はアイロンビーズです!