<ネゲブの流れ>-854-2025/5/18
- Kotomi Kani
- 6 日前
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「聖徒にふさわしく」エペソ5:3~7
「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。」 ーエペソ5:3ー
神に仕える牧師が嘘をついた問題に20年間悩みながら、この世の政治家の言葉や活動を追って来ました。この世には牧師よりも誠実で信用できそうな政治家はいるものの、性道徳の高さはクリスチャン独特のものだと感じます。新しい人の特色として神にならう、愛のうちに歩む、と勧めたパウロは、次に性的聖さについて言及します。学びましょう。
➀不品行を避ける、口にしてもいけない。ー 神は人を生殖活動をする男女に造りました。この性には罪が入りやすく第七戒で「姦淫してはならない」と戒められています。姦淫として戒められている不適切な性行動が不品行で、汚れた行動であるため聖なる神とは相容れません。不品行を避けることはもちろん、不品行、汚れ、むさぼり、愚かな話、下品な冗談は口にすることさえいけないと。世の人は喜んで下品な話をしています。しかしクリスチャンは口を聖め感謝の言葉を発するようにと。
➁不品行な者は御国から排除された偶像崇拝者。― 現代はキリスト教会の性道徳が世俗化し、多少の不品行は大目に見られているかもしれません。しかしパウロの厳しい指摘=「不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者は偶像礼拝者で、御国を相続することができません。」には謙虚に耳を傾けるべきです。すべての罪が赦されているからと教会内の性的腐敗を許容する牧師や信者のことばが「むなしいことば」なのです。「むなしいことばに、だまされてはいけません。」 この罪には今でも、最後の審判でも、神の怒りが下るのです。しっかりわきまえましょう。
➂仲間にならない。― クリスチャンには世との分離が求められています。正義を探究する真面目な世の人と一部の考えが一致したとしても、その人が不品行を容認していたら仲間にはなれません。だまされるな、仲間になるな、とのパウロの警告は人間の弱さを見抜いたものです。近づき過ぎて仲間になれば厳格さが徐々に浸食され、多少はいいかと油断した言動から一気に罪が入って来ます。不品行に甘い世と隔絶し、神に近い聖徒であるためには、まず口から。聖徒にふさわしく✝

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