

<ネゲブの流れ>-920-2026/9/6
「眠った人々のこと」Ⅰテサロニケ4:13~18 「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。」 ーⅠテサロニケ4:14ー 死は万人共通ですが、早世は悲しいです。31歳で処刑された安重根は神が共にいた好人物で、私は学びながら神が彼を助けなかったことに疑問を感じ始めました。ちょうどこの箇所の「眠った人々のことについて…悲しみに沈む」という現象です。切実に再臨を待望していた初代教会時代。テサロニケ教会では先に眠った(亡くなった)人々について不運だと悲しんでいました。しかしそれは知識不足ゆえ。学びましょう。 ➀先に眠った人々。― キリスト昇天後二千年も再臨がない時代に生きる私たちと初代教会のクリスチャンでは再臨や天国についての意識が全く違います。当時はまもなく来る再臨の日まで信仰の戦いを続けて生き延びることが目下の目標でした。それがかなわず病死や殉教となったらそれは悲しいことだったのです


<ネゲブの流れ>-919-2026/8/30
「立派なふるまい」Ⅰテサロニケ4:9~12 「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、 自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」 ーⅠテサロニケ4:11ー かつて牧師達から私の信仰が試された折、相談した恩師から「立派であれ!」と言われました。当時の私は立派であれなかったと思いますが、今後は召される日まで立派であれたらと思います。「立派」と言えば、やはり安重根の5ヶ月間の獄中生活です。彼はこの箇所のパウロの勧めに通ずる信仰生活の基本を実行していました。学びましょう。 ➀兄弟愛。― 再臨時責められない者であるためには前回の聖さとともに立派な生き方が必要です。まずは神と人を愛するという基本の横棒である隣人愛、兄弟愛です。初代教会時代は宣教拡大とともに迫害も激しく隣人愛は信者間の兄弟愛に求められていました。テサロニケ教会はこの兄弟愛を教会の枠を超えてマケドニア全土の兄弟たちにも実行しており、褒められて、ますますそうあるようにと勧められています。 ➁落ち着いた生活。― 兄弟愛は対人的で外向きな行動ですが、一人一人


<ネゲブの流れ>-918-2026/8/23
「聖くなること」Ⅰテサロニケ4:1~8 「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」 ーⅠテサロニケ4:3ー 先々週12~15日まで韓国に行きました。念願の安重根義士記念館では学芸部長から疑問点の解説と貴重な本を頂き感謝感激でした。私は日本の初代総理伊藤博文が嫌いです。明治天皇に注意される程の女好きだったからです。政界は欲の渦巻く世界でその日帝に戦いを挑んだカトリック教徒安重根はあっぱれでした。各国トップが欲で汚れている今の世界。聖なる神のみこころをもう一度確認し、さばきを恐れたい。 ➀神のみこころ=聖くなること。― 3章の終わりでパウロはテサロニケ教会の人々が再臨の時、神の御前で聖く、責められるところのない者とされるようにと祈っています。いつの時代でもどこの国でも、教会をむしばみ弱体化させるのはこの「聖さの欠如」です。教会が立っているのは「汚れた世」だからです。姦淫者の高市氏やトランプ氏が支配者となれる「罪の世」です。しかしクリスチャンは聖なる神を喜ばす聖なる歩みをすべきです。「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」.


<ネゲブの流れ>-917-2026/8/9
「パウロの祈り」Ⅰテサロニケ3:11~13 「また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。」 ーⅠテサロニケ3:13ー 8月には鬱になるという知識人がいます。それは愚と邪悪で侵略を続けた日本の歴史ゆえだとか。「私は拳を握りしめて片手で伊藤を撃ったが息子達の手が祈りで集まるように願う。」は安重根のミュージカル「英雄」のセリフです。被害国韓国が赦しと愛で日本を見ていることに涙が出ました。韓国は愛で被害を乗り越えようとしています。苦難の勝利者パウロもテサロニケ教会にそれを求めています。パウロの祈りに学びます。 ➀道が開かれテサロニケに行けるように。― テサロニケ教会を特別に愛していたパウロは直接その地を訪れ皆の顔をみたいと願っていました。先ずその祈り。二度のチャンスともサタンに妨げられました。祈りはその妨げが除かれ行く道が開かれることです。私達も妨げられて道が開かれな


<ネゲブの流れ>-916-2026/8/2
「パウロの生きがい」Ⅰテサロニケ3:6~10 「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」 ーⅠテサロニケ3:8ー 12年前、20年間死んでいたような心の病から抜け出して「生きるとは?」を考えました。信仰の回復が癒しに繋がったので、人が生きるには神から頂く永遠の命が必要だと感じました。この箇所にパウロが「生きがいがある=いま生きることになる(口語訳)」と言っている場面があります。これも永遠の命です。信仰、愛、教会について学びましょう。 ➀テサロニケ教会の信仰と愛。-パウロはテサロニケ教会に遣わしたテモテの報告を聞いて、慰め、生きがい、喜びを受けました。それは信仰と愛についての良い知らせだったからです。迫害の苦難の中でも堅く立っていた、つまり信仰の堅忍ができていました。それだけでなく愛も大丈夫だったのです。苦難を必死で耐える時心がいじけて愛を失ってしまう場合があります。生きた信仰、希望、愛が保たれていたのです。 ➁パウロの生きがい。-パウロは愛するテサロニケ教会の信仰と愛を聞いて「あなたがたが


<ネゲブの流れ>-915-2026/7/26
「テモテの派遣」Ⅰテサロニケ3:1~5 「それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。」 ーⅠテサロニケ3:2b~3aー 韓国でクリスチャンが多いのは日本による侵略の歴史が関係しています。多くの韓国人が近代国家建設の理念から免税優遇まで様々な求めで入信しました。しかし実際には免税が叶わず怒って聖書を破って教会を去った者もいました。苦難は信仰を産むと同時に信仰から離すこともあります。パウロもテサロニケ教会の苦難を心配していました。 ➀定められている教会の苦難。-テサロニケでは宣教開始すぐに迫害、しかも同国人からの迫害が起こりました。パウロは滞在中に「私たちは苦難に会うようになる」と言っていましたが、その通りになりました。「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない」(使14:22)はクリスチャンの常識ですが、恵みとの兼ね合いが大事です。神の恵みは絶対でその上に目的ある苦難が定まっているのです


<ネゲブの流れ>-914-2026/7/19
「パウロの誉れ、喜び」Ⅰテサロニケ2:17~20 「あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」ーⅠテサロニケ2:20ー 先々週末娘の通う教会で牧師先生御家族と姉妹方と私達親子で本当に楽しい交わりの時を頂きました。信仰生活は孤独に耐える試練の時と兄姉と喜び交われる幸いな時の繰り返しかもしれません。克己の信仰者パウロは実は愛情深い人情家でした。キリストのため全誉れを捨てたパウロがテサロニケ教会を誉れと言ったその愛に学びましょう。 ➀顔を見たいと切に願う。-私達は様々な人に出会いますが再会して顔を見たいと思える人は多くありません。もう顔も見たくないと思える人さえあります。パウロは率直に「しばらくの間…引き離されたので、…なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。」と言います。パウロがテサロニケ教会を思う愛の思いそしてそれに答える教会側の姿勢。両者が主に対する信仰において意気投合していることが伺えます。信仰と愛の一致。そのような信仰の群れが欲しいですね。 ➁サタンの妨げ。-それでパウロはテサロニケに行こうと二度も心を決


<ネゲブの流れ>-913-2026/7/12
「神の諸教会にならう者と」Ⅰテサロニケ2:14~16 「彼らがユダヤ人に苦しめられたのと同じように、あなたがたも自 分の国の人に苦しめられたのです。」 -Ⅰテサロニケ2:14cー 先日衆院を通過した皇室典範改正案は政権の独裁性を示しています。平和を希求する愛子内親王を天皇にしたくないのです。衆愚独裁の前に多く有識者が無力感を味わいました。クリスチャンの冠はどれだけキリストのために苦しんだかで、真の教会は迫害に苦しみそれに勝利する集まりです。テサロニケ教会も真の教会の仲間入りをしました。 ➀キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者と。-パウロは素直なテサロニケ教会を神のことばが働いていると褒めました。さらにユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となったと褒め言葉が続きます。ユダヤの諸教会がユダヤ人に苦しめられたのと同じように、彼らが自分の国の人に苦しめられたからです。「同国人からの迫害が教会のしるし」ということでしょうか。私も所属教団の牧師達から迫害されたので、ここはキリスト


<ネゲブの流れ>-912-2026/7/5
「神のことば」Ⅰテサロニケ2:13 「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」 ーⅠテサロニケ2:13cー 912回も書いて来た「ネゲブの流れ」。最近早天で読み直しながら恵みを頂いています。エリコ陥落前の箇所に「みすぼらしい状態がその頂点に達したその時に、キリストが来る」(ルター「マリヤの讃歌」)とあり感激しました。今、私の「お話」を一番喜んで聞いていた末娘のことで不思議な道が開かれつつあります。「神のことば」は確かに生きて働く。 ➀「人間のことば」で語られる「神のことば」。-パウロはテサロニケ教会を父母のような愛で愛しました。迫害続きの中で素直な魂に出会えば、それは愛着が湧くことでしょう。パウロは彼らの素直さを「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれた」と言って感謝しています。聖書は人間の言語で書かれ、キリストや使徒たちの伝道も人間の言葉でなされました。異言や異象ではない


<ネゲブの流れ>-911-2026/6/28
「信仰の父=パウロ」Ⅰテサロニケ2:9~12 「また、ご承知のとおり、 私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、 慰めを与え、おごそかに命じました。」 ーⅠテサロニケ2:11~12ー 天性の詐欺師が首相をしている日本。騙されないためには正しい判断力が必要です。沖縄全戦没者追悼式で高市氏が使った「尊い犠牲」という言葉に対してある方が涙声で「尊いのは命だ」と嘆いていました。なるほど。親(父母)は人生の先輩として子どもを教えなければなりません。二千年経っても信仰の師、父であるパウロ。その生き様に注目。 ➀働き=労苦、苦闘、勤勉、自立。-パウロ書簡の言葉は霊感された神の言葉として二千年もの間世界中で信じられて来ました。確かに神の言葉ですが、パウロの暖かい人柄や苦難に耐える悲嘆が混じった言葉です。彼の真剣な生き様=命がけの働きがその言葉の裏付けです。迫害ゆえの労苦、苦闘は激しく、伝道の働きは生活のための仕事もするので





















