

<ネゲブの流れ>-927-2026/10/25
「全く聖なるものと」Ⅰテサロニケ5:23~24 「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」 ーⅠテサロニケ5:23ー 先週はデボーションで示されて、近所のクリスチャン高齢者三人を訪ねました。お話しながらいつか迎える最期の時を考えさせられ、また昔話を通じて私の失敗の記憶もよみがえりました。怒りっぽくて子供達に嫌な思いをさせたという後悔と自責の念。残る日々を通して成長したいと祈り出しました。ちょうど今日の御言葉はぴったりです。学びましょう。 ➀責められるところのない全く聖なるものと。― パウロが結びで祈っていることはクリスチャンにとって最も大事なことです。3:13にもあった「キリストの再臨の時に聖く、責められるところのない者と」ということです。ここでは「全く聖なるもの」=聖化の完成です。今の私は全く聖なるものにもなっておらず、責められるところがあり


<ネゲブの流れ>-926-2026/10/18
「悪はどんな悪でも避ける」Ⅰテサロニケ5:19~22 「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。悪はどんな悪でも避けなさい。」 ーⅠテサロニケ5:19~22ー 私は真面目な親に育てられ十代でクリスチャンになりずっと善を追求して来ました。そのせいか最近見せられる悪の実態にショックを受けています。特に権力者の悪の実態はすごいです。嘘や誤魔化しが得意で、私とは全く別世界に生きる悪魔のようです。先週学んだ喜びと感謝の信仰生活を実現するにはやはり善の追求は必須です。学びましょう。 ➀御霊を消さない。― 喜びと感謝の信仰生活には御霊の働きが必要です。悩みの日に御霊は静かな声をもって慰め助けてくれます。活動の日には愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の実をもって祝福してくれます。この御霊なる神を自分の内から消してはなりません。御霊を悲しませ(エペソ4:30)消してしまうのは不信仰、疑い、怠惰、落胆、罪悪等の罪で


<ネゲブの流れ>-925-2026/10/11
「いつも喜んでいなさい」Ⅰテサロニケ5:16~18 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」 ーⅠテサロニケ5:16~18aー 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」はクリスチャンに最も愛唱されている聖句でしょう。私も昨年から毎朝唱えています。先の事についてだいぶ前から祈って備えても喜べない事が起きるのが人生の常です。その人生を主とともに恵みの中に過ごして行ける。そんな素敵な人生訓と言えます。学びましょう。 ➀いつも喜んでいなさい。― 私は韓国の賛美をきっかけにこの聖句を唱え出しました。♪毎日出会う悲しみに耐えながら主イエスの心に似て行く…深まった人生を主に捧げる♪この賛美から悲しみが主に似た心を造ると解り日々の様々なことを喜ぶようになりました。若い頃頂いた本「ハンネローネの遠い道」の主人公は毎日喜べることを探していました。私も朝食を頂けた、家事ができた…と喜びリストを上げました。すると信仰の喜びが溢れて来ました。い


<ネゲブの流れ>-924-2026/10/4
「いつも善を行なう」Ⅰテサロニケ5:12~15 「だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう努めなさい。」 ーⅠテサロニケ5:15ー 本日東京に信仰的な賛美を作り歌っておられる韓国のソン牧師夫妻が来ています。その挨拶の謙遜なこと。「日本の東京地域の信徒の方々に仕えるために出発します。恵みで召された僕を通して主の恵みと慰めが注がれることを願っています。」 真のキリスト教指導者です。パウロは手紙の最後に近づき信仰者の徳を語ります。学びましょう。 ➀指導者への尊敬と平和。― 11節で互いに徳を高め合うことが勧められました。その徳は人間関係の振る舞いに現れます。上の人、下の人、同等の人に対してそれぞれの徳目があります。まず私たちの上にあって指導訓戒をしてくれる指導者に対してです。ソン牧師のような真の指導者は傲慢な支配者ではなく身を削って労苦し謙遜に愛を持って指導訓戒してくれます。そのような人々に対しては深い尊敬を払い平和を保つことです。同盟教団の理事は、組織の対面のために威圧的で関わる


<ネゲブの流れ>-923-2026/9/27
「救い、臨在、向上」Ⅰテサロニケ5:9~11 「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。」 ーⅠテサロニケ5:9ー 先週は日米及び米中首脳会談があり日本の将来を憂いて落ち込みました。無能で色目使いしかできない日本国首相とそれを支持する無知な国民。間違ったことは嫌いなのに、この嘆かわしい状況の打破のために何もできていない私。今日の箇所は、再臨を待望する者として向上して行くようにと求められています。パウロのことばに学びましょう。 ➀御怒りから救われる者。― 再臨のキリストは審判者です。口からは鋭い剣が出ており手には鉄の杖を持っておられます(黙19:15)。確かに義なる神は畏れるべき方ですが、十字架の贖いは完全で信じる者は神の御怒りから救われます。神を畏れず悪行をなしている者だけが御怒りを受けるのです。私は内心、自分の無力さ弱さのために神の御怒りに会うのではと思っていたので、この御言葉にはホッとしました。 ➁主とともに生きている私たち。―...


<ネゲブの流れ>-922-2026/9/20
「慎み深くしていましょう。」Ⅰテサロニケ5:5~8 「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」 ーⅠテサロニケ5:8ー 先月の韓国行きからは今でも感動的恵みを頂いています。安重根義士記念館でテレビにも出ている記念館学芸部長さんと話すことができました。先週部長さんの動画を見たら、「安重根は幾多の挫折を経て一気に賜物を開花させた。それは挫折の中にいる者の希望だ。」と話されており嬉しくなりました。安重根の五ヶ月間の獄中生活は落ち着いたもので再臨を待つ姿勢と重なるものでした。パウロの勧めに学びましょう。 ➀夜や暗やみの者ではなく光(昼)の子どもである。― 前回学んだように暗やみにいないクリスチャンにとって、再臨は盗人のようではなく救い完成の希望の時です。私達も以前は罪の中にあり罪を隠すために夜や暗やみを好んでいたことでしょう。高市氏のように嘘や罪がある人は追及の場を避けます。私達はやみの業である罪を認め告白し赦されました。堂々と光の中に出られます。光の子ども=昼


<ネゲブの流れ>-921-2026/9/13
「主の日を前に」Ⅰテサロニケ5:1~4 「しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。」 ーⅠテサロニケ5:4ー 先週は家の基礎の修理工事があり天気に悩まされました。予報が外れて雨になり心配する場面も。この世は予測不能、対処不能なことが多く考えると不安になります。キリストの再臨についても時や詳細は予測不能です。その日は悪人には盗人のように突然来ますが、クリスチャンにとってはそうではないようです。パウロのことばに学びましょう。 ➀主の日がいつかは解らない。― 4章でパウロは眠った人々とキリストの再臨について説明しました。さてその再臨の日=主の日はいつなのでしょうか。「ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24:36)とあって天の御使いもキリストも知らない、まして人には全く解かりません。そのことはテサロニケ教会の信徒たちも教えられて知っており、パウロに書いてもらう必要はありませんでした。ただ覚悟や備えが必要でした。 ➁暗やみの中にいる人には盗人のように突然。


<ネゲブの流れ>-920-2026/9/6
「眠った人々のこと」Ⅰテサロニケ4:13~18 「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。」 ーⅠテサロニケ4:14ー 死は万人共通ですが、早世は悲しいです。31歳で処刑された安重根は神が共にいた好人物で、私は学びながら神が彼を助けなかったことに疑問を感じ始めました。ちょうどこの箇所の「眠った人々のことについて…悲しみに沈む」という現象です。切実に再臨を待望していた初代教会時代。テサロニケ教会では先に眠った(亡くなった)人々について不運だと悲しんでいました。しかしそれは知識不足ゆえ。学びましょう。 ➀先に眠った人々。― キリスト昇天後二千年も再臨がない時代に生きる私たちと初代教会のクリスチャンでは再臨や天国についての意識が全く違います。当時はまもなく来る再臨の日まで信仰の戦いを続けて生き延びることが目下の目標でした。それがかなわず病死や殉教となったらそれは悲しいことだったのです


<ネゲブの流れ>-919-2026/8/30
「立派なふるまい」Ⅰテサロニケ4:9~12 「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、 自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」 ーⅠテサロニケ4:11ー かつて牧師達から私の信仰が試された折、相談した恩師から「立派であれ!」と言われました。当時の私は立派であれなかったと思いますが、今後は召される日まで立派であれたらと思います。「立派」と言えば、やはり安重根の5ヶ月間の獄中生活です。彼はこの箇所のパウロの勧めに通ずる信仰生活の基本を実行していました。学びましょう。 ➀兄弟愛。― 再臨時責められない者であるためには前回の聖さとともに立派な生き方が必要です。まずは神と人を愛するという基本の横棒である隣人愛、兄弟愛です。初代教会時代は宣教拡大とともに迫害も激しく隣人愛は信者間の兄弟愛に求められていました。テサロニケ教会はこの兄弟愛を教会の枠を超えてマケドニア全土の兄弟たちにも実行しており、褒められて、ますますそうあるようにと勧められています。 ➁落ち着いた生活。― 兄弟愛は対人的で外向きな行動ですが、一人一人


<ネゲブの流れ>-918-2026/8/23
「聖くなること」Ⅰテサロニケ4:1~8 「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」 ーⅠテサロニケ4:3ー 先々週12~15日まで韓国に行きました。念願の安重根義士記念館では学芸部長から疑問点の解説と貴重な本を頂き感謝感激でした。私は日本の初代総理伊藤博文が嫌いです。明治天皇に注意される程の女好きだったからです。政界は欲の渦巻く世界でその日帝に戦いを挑んだカトリック教徒安重根はあっぱれでした。各国トップが欲で汚れている今の世界。聖なる神のみこころをもう一度確認し、さばきを恐れたい。 ➀神のみこころ=聖くなること。― 3章の終わりでパウロはテサロニケ教会の人々が再臨の時、神の御前で聖く、責められるところのない者とされるようにと祈っています。いつの時代でもどこの国でも、教会をむしばみ弱体化させるのはこの「聖さの欠如」です。教会が立っているのは「汚れた世」だからです。姦淫者の高市氏やトランプ氏が支配者となれる「罪の世」です。しかしクリスチャンは聖なる神を喜ばす聖なる歩みをすべきです。「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」.






















