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<ネゲブの流れ>-855-2025/6/1

  • 執筆者の写真: Kotomi Kani
    Kotomi Kani
  • 5月31日
  • 読了時間: 2分

「光の子どもらしく」 エペソ5:8~14


「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」        ーエペソ5:8ー

 

 今年の御言葉「起きよ。光を放て。」に導かれて、先週は上京して東大五月祭見学と医師である息子の近況確認と同盟教団の教会への礼拝出席を果たすことができました。祈って準備しどれも祝福された時でした。特に礼拝出席では過去の恨みごとを避け感謝の思いを伝えられ良い交わりでした。暗やみから光へ移された者の歩みを学びましょう。

 ➀暗やみから光となった。― キリストの救いに預かる前の私たちは暗やみの支配者であるサタンに導かれ、私たち自身が暗やみでした。暗やみには悪と罪があります。得るあるいは奪うための狡猾、策略、悪意が満ちていて、それでも得られない場合は恨みやねたみや不満でいっぱいでした。しかし救われて暗やみから引き出され、光となりました。光は愛、いのち、優しさです。神の光に照らされて私たちの心に温かい光が入り、周囲をも照らすことのできる「光の子ども」とされたのです。

 ➁光の子どもらしく実を結ぶ。― 「光の子ども」としてどのように行動したらいいいのか。「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。」(9節)とあります。善意→慈悲心。正義→正直、素直、道徳上の誤りがない。真実→まじめ、誠実。家でも、社会でもすべての言葉、行動に善意、正義、真実を保つことです。私は自分中心の正義感から人に対して善意より批判的になりやすい傾向があります。善意と念じて。

 ➂暗やみのわざに仲間入りせず、明るみに出す。― 暗やみのわざは口にするにも恥ずかしいことが多く、決して実を結ぶことはありません。光の子どもとされた私たちはそれに仲間入りすることなく、その暗やみを明るみに出すべきだと言われています。私は善意、正義、真実という光の心をもって教団の間違いを訴えて来たのか?怒りや恨みやさばきといった闇の心が混じっていて光の働きができなかったのでないか?と自問中です。かつて私が暗やみから光に移されたように間違った教団が良くなるには、私が善意、正義、真実という光の実を結んでいる必要があるのでは?と思い始めています。真に、光の子どもらしく🌞


 
 
 

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