<ネゲブの流れ> ―468― 2017/9/3
- Kotomi Kani
- 2017年9月3日
- 読了時間: 2分
「クリスチャン再考」 ルカ9:18~27
「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分
のいのちを失う者は、それを救うのです。」 ―ルカ9:24―
私は38年間クリスチャンをしていますが、この箇所から「クリスチャンとは何か、自分は本当にクリスチャンか」と厳しく問われました。当初私は救いを求めて教会に行きました。そして今でも同じような甘い求めがあり、どうもそれが見当違いのようです。クリスチャン再考です。
①「神のキリスト」との告白があるか。―「わたしはだれか」とのイエス様の質問に対するペテロの答えです。ペテロはまだ十字架も復活も見ておらず、恐らくイエス様のなされた癒しや奇跡からそう告白したのでしょう。しかし復活後ペテロの告白は本物になります。クリスチャンとは、自らイエス様の罪の赦しと罪からの癒しを経験し、イエス様を自分の「キリスト=救い主」と告白する人です。救いの恵みに感謝です。
②十字架を負う(=苦しむ)覚悟があるか。―ペテロのみごとな告白に対して、イエス様はご自分の受難の予告をされました。「…捨てられ、殺され…」と。33年間のイエス様の生涯は苦難の連続でした。私は最近このように思っていました。もう十分十字架を負ったから、これからは解放されて楽になるのではと。しかしクリスチャンは地上にある限り十字架を負い続けなければならないようです。なおも苦しむ覚悟をし、十字架の背負い直しです。
③いのちを失う覚悟があるか。―クリスチャンの苦難は、精神とともに肉体にも負担となります。寿命が縮みそうな気がすることもあります。その時、神様は肉体の祝福をも与えてくれるはずだと言って、苦難を投げ出しそうになります。私もそう思っていました。しかし、もう一度十字架のイエス様に目を向けましょう。イエス様は殺されたのです。私達の地上のいのちは遅かれ早かれ死にます。どう死ぬかが大事です。無駄死にはいけませんが、主のために苦しみ、肉体を痛め、死に至るとしても、それこそ本望ではないでしょうか。永遠のいのちこそ価値あり!
<今週の予定>
・4日(月)Pm6:00~ 学習クラス(中学、小学)
・5日(火)Pm6:00~ 学習クラス(中学、小学)
・6日(水)Pm3:00~ 学習クラス(中学)
・7日(木)Pm7:30~ 聖研祈祷会
・9日(土)Am9:00~ 幼児預かり
・ 毎日 Am6:00~6:30 早天祈祷会
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