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〈ネゲブの流れ> -536-2018/12/30

「福音宣教」Ⅰコリント9:1~18

「そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし

福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」 ―Ⅰコリント9:16―

2018年も残すところあと2日です。まもなく新しい年2019年が始まります。私にとって2019年は満60歳と受洗後40年を迎える年であり、非常に期待しています。幸い、この数年向き合って来た問題にも一区切りがつき、新しい歩みを始められそうです。新しい歩みとは福音宣教です。折しも、コリントの学びが、パウロの福音宣教観です。パウロに学びつつ、新しい歩みに備えたいと思います。

①福音宣教は救われた者の義務。― パウロは福音の宣教とその教理確立に最も貢献した使徒でしたが、その使徒職を疑われていました。彼が人となったイエス様の直弟子でなく、昇天後のイエス様に召された使徒だったからです。しかし「主イエスを見たこと」には変わりなく、むしろ回心の恵みは他の使徒達以上のものでした。パウロは福音宣教は「どうしてもしなければならないこと」つまり義務だと言っています。さらに「福音を宣べ伝えなかったら…わざわいに会う」と言っています。もし私達が本当に救われており、その恵みを経験しているならば、宣教は義務であり、しなければわざわいに会うという程のものなのです。

②福音に妨げを与えない生き方。― パウロは福音に妨げを与えないために報酬を求めない、自分の権利を用いないと言っています。当時ユダヤ教の祭司達は、信者に多くの献げ物を要求して宗教的恵みを施していました。その悪辣さを指摘する意味もあったことでしょう、彼は生活のために働きながら宣教していました。そのことがいかに自分の権利(宣教者がその働きから報酬を得るのは当然の権利)を放棄していることになるか、幾つもの例をあげて説明しています。福音宣教の目的は魂の救いと神の栄光です。経済的見返りを求めることは危険です。不純な動機は福音を害します。福音とは神の無償の愛だからです!

 

<今週の予定>

◎元旦礼拝 1日(火)Am10:30~  

◎年末感謝祈祷会 3日(木)Pm7:30~

◎早天祈祷会 毎日Am6:00~6:30 

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西阿知キリスト教会​

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