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〈ネゲブの流れ> -542-2019/2/10

「神、キリスト、男、女」Ⅰコリント11:1~16

「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリス

トのかしらは神です。」              ―Ⅰコリント11:3―

 現代は男女平等が当然の時代ですが、私は長く男尊女卑の考えに支配されて来ました。父が暴君で母がそれに屈従しているような家庭で育ち、さらに「妻は夫に従いなさい」という聖書の言葉を誤解して来たからです。最近フェミニストから聖書が男尊女卑を助長したと批判されていますが、本当にそうなのでしょうか。聖書には、キリストにあって「男子も女子もない」という言葉もあります。男女の主従関係は家庭や組織が良好に機能するための外的秩序であり、男女は本質的には平等なのです。この二つの発想のバランスが大事で、一方の極端な主張が現代の家庭や社会における男女間の問題を引き起こしているのです。

 ①男女の本質的平等性。― イエス様は女性を大切にしました。またパウロも11節で「主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。」と言っています。創造の順番が男、女ですが、神様は男女を平等に考えておられます。

 ②男女間の外的秩序。― 男性の肉体的力が重要だった時代においては当然支配者は男性となりました。しかし現代は知的、精神的力がものを言う時代のため、女性も支配者となりえます。この箇所の「女のかしらは男」とかエペソ5:22の「妻たちよ。…自分の夫に従いなさい。」というのも外的秩序と考えられます。

 ③バランスの大切さ。― この箇所のコリントの教会では平等を主張しすぎて、女性がかぶり物をしないで遊び人と間違えられるという逸脱行為が出て来ました。現代では、女性の育児放棄、男性のニートがその現れでしょうか。逆に外的秩序が主張されすぎると、男性側にはパワハラやDV、女性の側には甘えや依存が生じます。平等と秩序は男女間に限らない原則です。キリストをかしらとして男性も女性も、自他の尊厳を守りつつ、確固とした生き方を!家庭や社会が祝福されるため!

 

<今週の予定>

・11日(月)Pm6:00~ 学習クラス(小、中)

・12日(火)Am10:30~ 幼児預かり  Pm2:30~ 幼児英語

・13日(水)Pm3:30~ 学習クラス(中) 

・14日(木)Pm7:30~ 聖研祈祷会

・16日(土)Am11:00~ キッズクラブ(早島ふれあいの森公園へ)

・毎日Am6:00~6:30  早天祈祷会

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西阿知キリスト教会​

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