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<ネゲブの流れ> ―562― 2019/7/14

「実質のある信仰=復活信仰」Ⅰコリント15:12~20

「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけ

なら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」 ―Ⅰコリント15:19―

 先週は、救いの土台である「福音」の内容を見ました。その中でも「復活」が重要事項らしく、この箇所でパウロは「キリストの復活がなかったらあなたがたの信仰が実質のない、むなしいものになる」と言っています。ところで私達の信仰はどうでしょうか。キリストの復活が重要事項になっているでしょうか。復活抜きの神様で間に合っていたりしないでしょうか。それでは、パウロに、実質のない、むなしい信仰だと言われてしまいます。復活信仰を学び、実質のある信仰に生きましょう。

 ➀実質のない、むなしい信仰とは?― キリストの「復活」が重視されない信仰のあり方を表わした言葉が19節にあります。「この世にあってキリストに単なる希望を置いているだけ」ということです。キリストは愛なる方で全能の力を持った癒し主、助け主です。この世の生活において、そのようなキリストを信じ祈りながら生きれば、生活の必要や祈りの答えは与えられるでしょう。しかしこれだけでは、むなしい信仰なのです。

 ➁パウロも生きた、実質のある信仰。― 迫害者から救われたパウロは徹底してキリストに従い続けました。その信仰のあり方は「この世」を超越したものでした。迫害する者から迫害される者に変えられ、生涯が苦難の連続でした。31節には「毎日が死の連続です。」と告白されています。迫害から逃れた合間の生活でも、金銭や名誉をむさぼることなく、与えることをモットーに働き続けました。なぜそのような超越的生き方ができたのかというと、パウロ自身に復活の希望があったからです。

 ➂現代に求められる復活信仰。― 現代日本では信仰ゆえの迫害はありません。しかし私達の信仰を実質のないものにしようとする惑わしは沢山あります。注意点は、宝も安息も復活後の天国に求め、この世では乏しさと苦難を覚悟すること、でしょう。永遠に通用する信仰で!

 

<今週の予定>

・16日(火)Pm2:30~ 幼児英語・預かり 

・17日(水)Pm3:30~ 学習クラス(小学) 

・18日(木)Pm7:30~ 聖書研究祈祷会

・20日(土)Am10:30~ 学習クラス(高校)

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