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<ネゲブの流れ>―564―2019/7/28

「もし死者の復活がないのなら」Ⅰコリント15:29~34

「もし、死者の復活がないのなら、『あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。』ということになるのです。」  ―Ⅰコリント15:32―

 死後の復活と永遠の命は、イエス様を信じたクリスチャンの特権的恵みです。と同時にその信仰がなければ、クリスチャン生活は名ばかりで、神の栄光を表すものとはなりません。パウロはこの箇所で「もし死者の復活がないなら」ということで、三つのことを語っています。

 ➀死者のゆえのバプテスマ。― これが何を意味しているのかについては様々な解釈がありますが、カルヴァンを参考にしましょう。死を目の前にした人が死後の望みのために受けるバプテスマのことで、死者の復活がないなら、そのバプテスマは何の意味もないことになります。最近でも私の大学の恩師が亡くなる10日程前にバプテスマを受けて召されたということで、死後の不安があったのだと思いました。

 ➁クリスチャンの危険、死、戦い。― パウロは「毎日が死の連続」と言っており、本物のクリスチャンには危険、死、戦いはつきもののようです。私でも、この苦しみは信仰のゆえのもので、信仰をいい加減にすれば楽になると感じることがありますが、そんな甘いものではなさそうです。パウロは不運で危険にさらされたのではなく、積極的に苦難を負い続けたのです。それは復活後の栄光を望み見ていたからです。復活の望みに立てば、もっと苦難を負えるクリスチャンになれるのでは。

 ➂良い習慣、正しい生活、罪からの解放。― 死後の世界や死者の復活を否定すると、この世の生活がすべてとなります。そこから刹那主義が出て来て、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしよう。」と、快楽と不道徳に走るようになります。しかし死者の復活も最後の審判もあるわけで、果ては悲惨なことになります。死者の復活を考えることで、自分も、教会も、社会も罪から守られます。パウロが不道徳が横行しているコリント教会に、復活信仰を強く訴えているのはそのためです。「天にあるものを思い」、正しい生活をし、十字架を負える本物のクリスチャンに!

 

<今週の予定>

・29日(月)Pm6:00~ 学習クラス(小学)

・30日(火)Pm2:30~ 幼児英語・預かり 

・31日(水)Pm3:30~ 学習クラス(小学) 

・1日(木)Pm7:30~ 聖書研究祈祷会

・3日(土)Am10:30~ 学習クラス(高校)

・毎日Am6:00~ 早天祈祷会

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