<ネゲブの流れ>―578― 2019/11/10
「処罰と赦し」Ⅱコリント2:5~11
「その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分です
から、あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。」
―Ⅱコリント2:6~7―
「飴と鞭」という言葉がありますが、しつけや習い事で効果を上げるには、ほめることと注意することの両方が必要です。それはクリスチャンの信仰の成長でも同じで、ほめられるか注意されるかの片方だけでは歪んだ信仰になってしまいます。神様も愛と厳しさで私達を訓練されますが、使徒パウロもまた厳しい叱責と寛容な赦しの愛でコリントの教会を罪から救いました。その姿勢から処罰と赦しについて考えましょう。
➀クリスチャンの罪は教会とその指導者を悲しませる。― この箇所で問題にされている「ある人」とは「父の妻を妻にしている者」(Ⅰコリント5:1)かもしれません。その廃頽振りは教会員にとっても指導者パウロにとっても悲しみでした。私達にとっても、聖く正しいと信用しているクリスチャンが罪を犯していると聞くことは、心の痛みでしかありません。
➁悔い改めと矯正を願って処罰がなされる。― 現在の教会では戒規というものがあり、罪を犯した者は聖餐停止や除名処分などの処罰を受けます。当時のコリントの教会でも何らか処罰がなされたようで、その結果問題の人は罪を悲しんで悔い改めました。教会の処罰は、罪人を放逐しダメにするためではなく、真実な悔い改めにより良き成長を遂げるためのものです。私達の他者への指導にもその思いが大事です。
➂悔い改めには真実な赦しで解放を。― パウロは問題の人が悔い改めたので「赦し、慰めてあげなさい。…そうしないと、深い悲しみに押しつぶされてしまう…。」と指示しました。その態度の豹変振りにはコリントの教会員も驚いたでしょう。しかし真実な愛は真実な悔い改めを見抜きます。私もきつく叱った子が悪かったと気づいて泣きながら「ごめんなさい」のお祈りをした時、あまりに嬉しくて涙が出ました。真実な「処罰と赦し」がなされる所にはサタンは近づけず、御霊の恵みが溢れます!
<今週の予定>
・11日(月)Pm6:00~ 学習クラス(小学)
・12日(火)Pm2:30~ 幼児英語、預かり
・13日(水)Pm3:30~ 学習クラス(小学)
Pm7:30~ 市民クリスマス合同祈祷会(水島聖約Ch)
・14日(木)Pm7:30~ 聖書研究祈祷会
・16日(土)Pm3:30~ 学習クラス(高校)
・毎日Am6:00~ 早天祈祷会