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<ネゲブの流れ>-596-2020/3/22

「救いに至る悔い改め」Ⅱコリント7:8~13

『神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。』 ―Ⅱコリント7:10―

 教会暦では2月26日からレント(受難節=キリストの受難を思い悔い改める期間)に入っています。折しもCOVID19感染防止自粛期間であり、自省と悔い改めの好機です。この箇所の「神のみこころに添った悲しみ」と「世の悲しみ」の違いはペテロとユダの違いです。ペテロは赦されて大きな働きをなし、ユダは首をつって自滅しました。悔い改めは罪を見つめる辛い作業ですが、それが救いに至るのです。私は8年前のレントの最終日から数日間悔い改めの時を過ごし、どん底から救われ大きな恵みを頂きました。「救いに至る悔い改め」について学びます。 

 ➀悔い改めは聖霊の働き。―私達には「世の悲しみ」と言える、挫折、困難、逆境などの様々な悲しみがあります。その時それをもたらした神のみこころを考えることです。私達には落ち度、間違い、罪があるのです。神の前に静まる時、外的境遇を悲しむことから自分の罪を悲しむことへの転換が起きます。これが悔い改めであり、まさに聖霊の働きです。

 ➁悔い改めには、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意、処罰が伴う。―私の経験から考えます。弁明とは言葉で罪を明らかに説明すること。私はまず自分の言動や感情が罪だと解りすっきりしました。憤りは罪と罪を犯した自分への怒りと憎悪。恐れは罪をさばく神への恐れ。私は罪だと解るとそれを憎み、さばかれる神を恐れてとにかく丁寧に謝罪の祈りをし、行動を変えました。慕う心とは赦しと回復を希求する願望、熱意とは神に立ち返るための熱心、処罰とは謝罪や償いの行動。私は多くの面でずれていたため、悔い改めに何日も要しました。完全な帰還を慕い求めて、謝罪のメールや電話をかけ、お金を払うこともありました。

➂悔い改めは救いに至る。―かつて私は沢山悔い改め、信仰の回復、不眠症の癒し、心の元気、思考力の回復を頂きました。COVID19を逆手に取って、自省から悔い改め、さらなる救いの拡大を!奪取!

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