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‹ネゲブの流れ›-605-2020/5/24

「主に推薦される人と」Ⅱコリント10:12~18

『誇る者は、主にあって誇りなさい。自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。』 ―Ⅱコリント10:18―

人は誰でもプライド(自尊心)を持っており、それがいい意味で勤勉さや善良さを保つのに役立っています。しかしプライドの高さが仇となり、傲慢さや卑屈さとなって人を害している場合もあります。それが原罪なのでしょうが、人にはプライドが高く、自分を高く評価し、誇りたいという罪性があります。この誇りが、コリントの信徒をしてパウロを批判侮蔑するという行為に至らせたのです。誇りから聖められていたパウロの言葉に学び、私達もこの罪性から解放されましょう。

➀誇りは人との量りや比較によって生じる。― パウロを批判するコリントの信徒達は、自分たちの集まりの中で量り、比較して自分は上だと誇っていました。人の中での量りや比較は、その集まりが狭い場合は正しい評価になりません。またその集まりの質が低い場合は誇りは虚しいものです。パウロが「知恵のないこと」と言うのも当然です。

➁誇りは限度を超えて膨れ上がる。― 虚しい誇りに膨れ上がっていたコリントの信徒達は、パウロは傲慢だと批判しています。これは自分の罪性を攻撃相手の中に読み取る心理であり、全くの的外れでした。パウロはそれを見抜き、二点指摘しています。限度を超えて誇りはしない。限度を超えてほかの人の働きを誇りはしない。誇りは恐ろしいもので、他人の功績を自分に取り込み、嘘を使ってでも自慢するのです。

➂主に推薦されることを求め、主の業を誇る。― パウロはコリントへ行くのも自分を誇るためではなく、神の割り当ての限度内のことだと言います。「なすべきことをしただけです。」と言う主のしもべの姿です(ルカ17:10)。またその働きの目的を、コリントの信徒の信仰成長と福音宣教のためだと語り、主の栄光を求めています。人と比較し人の評価を求めることを止め、主に割り当てられた仕事に邁進しましょう。やがて主に推薦される者となり、主を誇る賛美が溢れるはず!

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