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‹ネゲブの流れ›-608-2020/6/14

「言わなければなりません」Ⅱコリント11:16~21

『言うのもは恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。』 ―Ⅱコリント11:21―

コロナ禍は社会の様々な問題を炙り出しました。不当な支配や差別を実感する人が多くなり、世界中でデモが起きています。声を上げる人が増えたのです。声を上げるということでは、この箇所のパウロも同じです。彼は言わなければならない、しかも自慢しなければならないと声を上げました。パウロの愛の定義(Ⅰコリント13章)によれば自慢は愛に反するのですが、言わなければならなかったのです。私達にも「言わなければならない時」があります。パウロともに考えましょう。

➀偽物が横行し真理が歪められている時には声を上げる。― パウロが愚か者として自慢話をするというのは相当のことです。それは、コリント教会でのにせ使徒の支配が目にあまるものとなっていたからです。彼らは教会員を奴隷にし、食い尽くし、だまし、いばり、顔をたたいていました。それなのに教会員は喜んでこらえ、にせ使徒を敬っていたのです。これは歪んだ被虐性であり、教会の真理は損なわれていました。

➁はっきりと偽物を攻撃し本物を提示する。― パウロはにせ使徒に対して自分こそ本物だと主張します。内容は次週見ますが、言い方は強い皮肉です。「愚か者としてする思い切った自慢話」「多くの人が肉によって誇っている」「賢いのによくも喜んで愚か者をこらえている」などと。私達も言う時には偽物と本物の違いを明確に言い表し、偽物によって疎外されている人を救出し、真理の擁護をしなければなりません。

➂恥を捨て、思い切って。― パウロはコリントの教会を守るために言うのも恥ずかしいことをあえて言いました。その内容は使徒行伝にもない過酷な迫害の体験です。苦難の体験は本物の基督者のしるしだとは言え、語れば傷がうずき、みじめになります。「私たちは弱かったのです」とパウロは弱さの告白を語り出しました。偽物横行の時代、弱さも自慢も含め、言わなければならないことがありそうです。本物ゆえに!

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西阿知キリスト教会​

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