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‹ネゲブの流れ›-609-2020/6/21

「キリストのしもべ」Ⅱコリント11:22~33

「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は 彼ら以上にそうなのです。」

人は使命を持って生れて来たと言われます。自分の使命を模索していた若い頃、献身者を募る集会が多かったこともありますが、私の中にキリストについて行きたいという思いが生じました。実際、献身して神学校で学び伝道者となりました。その34年間の歩みは、傍目からも自分で考えても、心の病に倒れた役立たずの休職者でした。しかし、もしかして、それはキリストのために苦しむ「キリストのしもべ」の歩みだったのかも、と思います。パウロに「キリストのしもべ」の姿を学びましょう。

➀「キリストのしもべ」は労苦が多い。― にせ使徒に対するパウロの自慢話の中で「私の労苦は彼らよりも多く」と言っています。彼は旅をしながら伝道しましたが、その旅は海上でも川でも都市でも荒野でも、難船や盗賊などがあり、困難だらけでした。労し苦しみ、眠られぬ夜、飢え渇き、寒さ、凍え、裸という言葉に労苦の多さが伺えます。

➁「キリストのしもべ」は激しい迫害を受ける。― パウロの苦難の列挙の中で、入牢、むち打ち、石打ちは迫害による苦しみです。死の手前までむち打つ「三十九のむち」を5度も受けたと言います。死に直面したこともしばしばと言いますから、ひどい迫害続きだったことがわかります。

➂「キリストのしもべ」はいつも弱くされている。― パウロはしもべの印としての労苦を列挙して、ついに「自分の弱さを誇ります」と絶叫しました。宣教は魂の救いがかかっており、休む間もない働きです。また罪を鋭く指摘し悔い改めを迫る宣教は、頑なな罪人の反感を買い絶えず迫害されます。真理のためには負けてはおられず尚進み続けます。過労状態、瀕死状態でいつも弱っているのです。そこに弱っている人や弱っている教会があれば心づかいでさらに弱くなるわけです。思えば、私の病は迫害ゆえの病でした。それでも歯を食いしばって子育てと教会の働きを続けました。終わりまで「キリストのしもべ」として歩みたい!

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