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‹ネゲブの流れ>-754-2023/6/25

「再建ののろい」ヨシュア記6:26~27



「この町エリコの再建を企てる者は、 主の前にのろわれよ。 その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」  ―ヨシュア記6:26―

 

 一昨日の沖縄慰霊の日の岸田首相の挨拶は言葉だけの平和希求でした。憲法前文には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」とありますが、政府の南西諸島防衛強化や防衛費増額は逆行だと言えます。反省して出発した場合逆戻りは悪い結果を招きます。ヨシュアは「のろい」という言葉を使いましたがまさに日本の現状のようです。エリコの再建の恐ろしさを考えましょう。

 ➀エリコ=神の怒りにより聖絶された罪の町。― エリコにはカナン人が住んでいましたが、彼らは偶像崇拝と淫行の腐敗した民でした。ラハブが遊女であったことからも解ります。イスラエル人がカナンの地に所有地を得るということは、先住民がその罪ゆえに神に滅ぼされるということで、その罪の風習ゆえに同居、同化はあり得ないのです。エリコの住民が聖絶されたことは神の民イスラエルへの警告でもありました。

 ➁再建や逆行は神のさばきへの反抗。― 信仰による奇跡によって壊滅されたエリコの町はさばきが未来に及んでいました。ヨシュアは「この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。」と誓いました。神のさばきにより滅ぼされた町を再建するということは神への反抗です。私達は神=審判者という視点で見るならば歴史あるいは身近に様々な神のさばきを見ることができます。さばきが下った者への同情もその生き方言動の継承や再現も危険です。それは神への反抗ですから。    

 ➂のろいの実態=長子と末の子を失う。― 神が崩した城壁の町を再建しようとその礎を据える者は長子を失い、門を建てる者は末の子を失う、とあります。実際Ⅰ列王記16章34節でベテル人ヒエルにそのことが実現しました。歴史は神の国を目指して悪を除き反省し善を求めて進むべきです。しかし日本は戦前回帰を目指して逆行し、様々な分野でのろいを招いています。長子や末の子を失うは少子化のことのようです。その他貧困化、不健康化、嘘と不信の蔓延化等。悪を再建してはならない。逆行してはならない。善を求めて高尚に、前進あるのみ!




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