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‹ネゲブの流れ>-751-2023/6/4

「町を回る信仰」ヨシュア記6:12~15


「彼らはその次の日にも、町を一度回って宿営に帰り、六日、そのようにした。」

                       ーヨシュア記6:14ー


 この数年国会中継を見ていますが、首相や大臣の資質とは詭弁の巧みさだと思えて来ました。問題ある悪法がどんどん可決される中「与党も野党も茶番!」という紙を掲げた議員が懲罰を受け、首相一家は公私混同で権力を謳歌しています。恐ろしい時代です。身近でもあちこちから搾取や意地悪の声がかけられ悲しくなります。この世相だからこそ誠実忠実な信仰は尊いです。エリコの町を回った信仰に学びましょう。

 ➀早朝の行進。― 初日を含め六日間は町を一度回るだけでした。二日目「ヨシュアは早く起き」とあり七日目は「朝早く夜が明けかかるころ」とあり早朝の行進だったことが解ります。町の大きさから30分程の行進のようで早朝のデボーションが想起されます。七人の祭司と吹き鳴らされる七つの雄羊の角笛、主の箱、武装した者たち。戦いの勝利と主の助けを祈り求める行進です。毎朝の祈りの積み上げの大切さ。

 ➁同じ繰り返しの六日間。― 朝早く起きて30分町を回るだけの繰り返しを想像してみましょう。無駄に思えて武器の調達や戦いの訓練など他にすべきことがありそうに思えて来るのではないでしょうか。しかし早朝の行進だけがすべきことでした。私達も「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」(ルカ18:1)との御言葉に立ち御業を求めましょう。    

 ➂七日目は七度回った。― 一日一度だった行進が七日目は七度となり3時間半かけて角笛を吹き鳴らしながらぐるぐると回りました。意味がわからないことを繰り返して疲れ果てたことでしょう。その時に「ときの声をあげなさい。」とのヨシュアからの命令が下ります。ルターは「マリヤの讃歌」の中で「みすぼらしい状態がその頂点に達したその時に、キリストが来まして」とか「神の御業とその御顧みとは底深い所に向う」とかと書いています。無意味、無駄と思えることを繰り返し続け体も心も疲れ果てたその時が神の時のようです。強靭な悪との戦いにおいて無意味としか思えなくても、誠実に忠実に愛の心で信仰の歩みを続けましょう。救いとさばきという神の業は必ずなされます。エリコ陥落間近❣


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