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‹ネゲブの流れ>-772-2023/11/5

「日は動かず、月はとどまった」ヨシュア記10:12~15


「主が人の声を聞きいれたこのような日は、先にもあとにもなかっ た。主がイスラエルのために戦ったからである。」     ーヨシュア記10:14―


 キリスト教は旧新両約聖書を聖典としキリストの言葉を重んじます。イスラエル戦争で双方の立場を考えても、結局「剣を取る者はみな剣で滅びます。」とのキリストの言葉にしか解決はなさそうです。旧約聖書には神の聖戦が多いですが、今は新約の時代で剣を取らない戦いが頻発です。時を止めたヨシュアの祈りは今も聞かれます。学びましょう。

 ➀ヨシュアの祈り。― 敵はエモリ人の五王が率いる大連合軍で主が大きな雹の石を降らさなければならない程の難戦でした。また逃げる敵を追跡して打つわけで時間もかかりました。勝利の約束を頂いていたヨシュアですが、夜になれば敵は暗がりに逃げ込んでしまうと主に祈りました。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」勝つまで時間を止めて昼を長くして下さい、と。

 ➁日も月も動かない奇跡。 ヨシュアの祈りは神に聞かれて、民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまりました。太陽も月も動かないとは地球が自転しないということですが、この奇跡の解釈は様々です。地球つまり時間が止まったのではなく、時間が伸びたかと思える程集中して良い戦いができたとか、太陽が沈んだ後も反射光で昼が長く感じられたとか。しかし万物を支配する全能の神。奇跡は当然。

 ➂主が戦った日。― 大きな雹の石、時間が止まり昼が長かった日、これらは主の業でした。「主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。」とあります。父が信じた日を思い出します。呼吸がおかしくなり危篤状態に。まだイエス様を信じるか聞けていない。父は佐渡、私は岡山。電話で「信じて」と語りかけて、付き添いの姉に声かけを頼むのがやっと。祈り続けて翌日の始発で佐渡へ。私が着くまでに、呼吸が正常に、そして早朝の牧師の見舞いと伝道により信仰告白へと。そして最後となるガラス越しの面会が実現。父は私を待ち、最期を伸ばしてもらいました。“全能なる神”を信じられている幸い。主が戦って下さる力強さ。感謝😊



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