‹ネゲブの流れ>-774-2023/11/19
「敵の最後」ヨシュア記10:22~27
「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」 ―ヨシュア記10:25―
イスラエル戦争でどちらを支持するかの主張はキリスト教界でも一致していません。イスラエル建国を聖書預言の成就と考える福音派は神はイスラエルの味方でテロ集団ハマスは悪だとしてイスラエルの大量虐殺を肯定します。私はその主張にキリスト教界に巣くう権威主義的悪を感じます。敵なる悪との戦いは宗教や民族の枠を超えます。しっかり。
➀敵は隠れても必ず見つけられる。― 先週も考えましたが私達の敵は富と力と欲で弱者を搾取する悪どい支配者=王です。エモリ人の五王は敗戦色が濃くなると兵を見捨てて逃げマケダのほら穴に隠れました。しかし見つけられ見張られヨシュアのもとに引き出されました。誰一人神のさばきから逃げおおせる者はありません。生前は隠しおおせても死後必ず神のさばきを受けることに。
➁敵はみじめな敗北を帰す。― 五王の敗北はその首にイスラエルの戦士の足をかけられた姿に象徴されています。神は敵なる悪の首に足をかけ足台とします。詩篇110:1「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは」のように。正義の完全勝利と悪の完敗です。その後五王は打ち殺され夕方まで木にかけられ、日の入るころ降ろされ隠れていたほら穴の中に投げ込まれ石で封じられました。終末の火と硫黄の池での永遠の苦しみ(黙示録20:10)を想起します。キリストにある勝利者が涙をぬぐわれ額に神の名をつけられるのとは、大違いです。
➂敵を倒すまで雄々しくあれ。― ヨシュアは五王の首に足をかける戦士らに「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。」と言いました。私達も敵の王を完全に打ち負かすまで雄々しくあらなければなりません。主は「あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる(首に足をかける)。」と言われるのですから。かつて私は一人の敵を倒すまで20年以上かかりました。もう一人の敵とは私の力が弱く休戦中ですが、主の助けを信じて雄々しく待ち望みたいと思います。主は大きな雹の石を下し太陽さえ止められる方なのですから🤚
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