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‹ネゲブの流れ>-779-2023/12/24

「マリヤの讃歌」ルカ1:46~55


「そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。」

                     ―ルカ1:50―

 今年、有名な三人の乙女の話を調べるために「マリヤの讃歌」(ルター著)を買いました。私の既知の話では三人目の乙女は主に「冷たくされた」でしたが、この本では「顔を打ったり、掻きむしったり、突き飛ばしたり」されています。ルターは窮迫の極みにありながら神の善を愛し讃え従うマリヤの信仰を高評価。混乱期のクリスマス、信仰を整えましょう。

 ➀たましいの賛美と霊の喜び。― 「マリヤの讃歌」は主をあがめ喜びたたえる言葉から始まっています。しかもその座はたましいと霊という心の深い部分です。私達の心や考えが欠乏や困難の境遇にだけ向けられていたら、口先でない心からの賛美や喜びは出てきません。マリヤが御使いの告げた神のことばにだけ思いを向けたように神の善にだけ心を向けましょう。数々の恵みのゆえに礼拝と賛美があふれて来ます。

 ➁権力と富で高ぶる者⇔卑しく低く飢えた者。― マリヤは自身を卑しいはしためと言っています。系図上はマリヤもヨセフもダビデ王家の家系でしたが没落し貧しくなっていました。当時イスラエルは政治的にはローマの属国で、宗教的には祭司たちが権力と富を握っていました。祭司の娘ではなくマリヤが選ばれたということから「高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろし、富む者を何も持たせないで追い返された」と歌うことができたのでしょう。低きを顧みる神。

 ➂主を恐れかしこむ者へのあわれみ。― マリヤは主の恵みを様々な言葉で表現しています。「目を留めてくださった」「しあわせ者」「大きなことをしてくださった」「力強いわざ」「高く引き上げ」「良いもので満ち足らせ」。見える所が、叩かれ、掻きむしられ、つき飛ばされるように思える時にも、この讃歌の恵みの言葉を覚えることです。主のあわれみは主を恐れかしこむ者には代々にわたって(いつまでも)続くからです。主を恐れかしこむとは、高ぶらず、権力や富に固執せず、低い境遇に甘んじ、苦難を忍び、見える所によらない純粋な信仰を保持することです。「神の御業とその御顧みとは底深い所に向う」(ルター)。感謝🙌


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