‹ネゲブの流れ>-781-2024/1/1
「主の激流が来る」イザヤ59章
「主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。」(新改訳)
「主は、せき止めた川を、そのいぶきで押し流すように、こられるからである。」(口語訳)
―イザヤ59:19b―
新年明けましておめでとうございます。今年の御言葉は信仰回復と病の癒しを頂いた2012年によく唱えていたものです。口語訳のように20年の病のため自己中心の沼によどみ止まっていた信仰がせきを切ったように動き出しました。それは私の意志や意欲を越えたもので圧巻でした。新しい年、主の激流の祝福を待ち望み備えたいと思います。
➀社会に蔓延した罪の状態。― 1~8節は支配層の罪が民にも広がって恐ろしく堕落した社会の様子を記しています。手は血で汚れ、口には偽り、足は悪に走り、思いは不義。まむしの卵(悪しき企て)とくもの巣(からめ取り滅ぼす計画)は象徴的です。また正しい訴えや弁護がないとは司法の腐敗で、救いようなしです。裏金問題で国会が閉じられ、しかも検察が必ずしも正義とは限らないという今の日本にも通じます。
➁正義希求者の告悔のとりなし。― 9~15節前半は罪に汚れた社会の中で心を痛めている者たちの祈りです。光を待ち望んでもやみ。公義も救いもない。それは私たちが神にそむきの罪を犯し、しいたげと偽りに歩んだからであると罪の告白の祈りをささげています。民の罪を自分のこととして神にとりなす姿はモーセ、エズラ、ネヘミヤ、ダニエルにもありました。昨年日本のひどいモラル低下にニュースも見れなくなり悲しい曲をよく聞きました。それよりも告悔のとりなしをすることですね。
➂主の激流が来る。― 昨年こんな祈りが聞かれるかなと思って祈った祈りがいくつも聞かれました。祈りを聞かれる主は、罪の惨状とそれを嘆いて祈る祈りを見てともに心を痛めて下さいます。そしてご自分の御腕で救いをもたらすために来られます。義のよろい、救いのかぶと、復讐の衣、ねたみの外套を身につけて。敵には報復。しかしそむきの罪を悔い改める者のところには贖い主として。そして聖霊も御言葉も私たちから永遠に離れないと。何と幸いなことでしょう。ぜひ、祈り続けて、主に来て頂きましょう。「主よ。せき止められて罪によどんでいる日本の魂の川を、そのいぶきで押し流してください。」 主の息よ、ふきまくれ🌀
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