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‹ネゲブの流れ>-816-2024/9/1

「のがれの町の祝福」ヨシュア記20:7~9


「会衆の前に立たないうちに、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないためである。」

                 ーヨシュア記20:9bー


 最近は社会の劣化が進み、サイコパスの斎藤兵庫県知事はじめ人格的に問題の人が幅を利かせる時代になっています。それにはクリスチャンの劣化と地の塩の働きの皆無も関係していると思われます。十字架はクリスチャンののがれの町ですが、旧約で過失殺人者が即座に赦されのがれの町から釈放された訳ではないことは意味深です。十字架で赦されたことをいいことにきよめも向上も求めない。それはNGです。

 ➀のがれの町の町名の意味。― のがれの町は六つです。ヨルダン川西岸ではナフタリのケデシュ(聖所、聖潔)、エフライムのシェケム(強骨、力)、ユダのヘブロン(親交、交通)、ヨルダン川東岸ではルベンのベツェル(要害、安全)、ガドのラモテ(高所、高挙)、マナセのゴラン(幸福)です。町名についての注解「神は聖潔を初めに、幸福を終わりに置きたもう。人はこれを反対に置く。」 十字架の目的はきよい幸福です。

 ➁のがれの町の生活=クリスチャン生活。― 入信のきっかけは人様々です。悩みを抱えて、罪に悩んで、真理を求めて、などなど。私は自分の性格的弱さに悩んで教会に行ったので、弱さがずっと課題でした。思えば信仰生活は試練続きでしたが、佐藤彰牧師曰く「試練は強くするため」とは、なるほど。また私には短気や怒りっぽいという罪性も問題で、これは過誤の罪としてのがれの町に隔離され反省し自己変革が必要な罪性でした。のがれの町の最初にケデシュ(聖潔)があるのは意味深いです。神に導かれた信仰生活の中で罪を示され十字架の下で聖潔を求める時に、力、交わり、安全、向上、幸福が与えられるのです。

 ➂赦し=復讐の免除。― 過失による殺人者が遺族の血の復讐をのがれるには、のがれの町に留まる以外にありません。同時に遺族に謝罪し赦しを請う必要もあります。あやまったのは誰々のせいだと言い訳しても、一向に赦しは受けられません。ずっと恨みを買い復讐による身の危険が続きます。へりくだった謝罪と悔い改めその結果としての和解の成立はクリスチャンの証です。十字架の下は、悔い改めが似合う😭


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