‹ネゲブの流れ>-822-2024/10/13
「戦勝直後の良き信仰」ヨシュア記22:21~34
「それでルベン族とガド族は、その祭壇を『まことにこれは、私たちの間で、主が神であるという証拠だ。』と読んだ。」 ーヨシュア記22:34ー
石破首相は四代目クリスチャンですが、年一回の礼拝者らしく全く期待できません。一代目信者は回心が劇的で信仰が生きていますが、世襲信者は代を追うごとに信仰が弱くなりがちです。神による戦勝と攻略を経験したヨシュア世代では全部族の信仰は生きていました。二部族半の祭壇問題では言葉の端々に古き良き信仰が表出。学びましょう。
➀二部族半の言い訳。― 祭壇を築いた動機が主への反逆や不信の罪だったり、目的がいけにえをささげるためだったりしたら、私たちを救わず、主ご自身が私たちを責められるように、と述べます。潔いです。彼らの説明する動機は子らへの信仰継承上の配慮で、後の世代において、ヨルダン東の部族が他部族から排除され主を恐れる信仰をやめるといけないから、ということです。そして最後「主に反逆し、主に従うことをやめるなど、絶対にそんなことはありません。」と断言しています。
➁祭司ピネハスらの満足。― 二部族半の所に送られた祭司ピネハスと10人の部族長らは、言い訳を聞いて満足しました。反逆や不信仰の行為でなかったからです。主が主導する長い戦いにおいて一部の者の罪がイスラエル民族全体の災禍として神より下った経験から、信仰的安堵の言葉が記されています。「主が私たちの中におられるということを知った。あなたがたが主に対してこの罪を犯さなかったから…あなたがたは、今、イスラエル人を、主の手から救い出したのだ。」と。個人や部分集団の正しい信仰が全体の救いにつながるということです。
➂主は神である。― 他部族とのいくさを回避でき、ルベン族とガド族はその祭壇を「主が神であるという証拠だ。」と呼びました。この信仰は大事です。主の大きなわざを見たヨシュア世代の者がいなくなった後のイスラエルの関心事は神でも神に従うことでもなく、異教民族と同じ神抜きの人間的繁栄となりました。これは信仰没落前のギリギリの正統信仰告白でした。神抜きの幸せ探求が蔓延した時代、神に近づき良く祈り「主が神である」体験を沢山しましょう。良き信仰継承のために!
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