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<ネゲブの流れ>-849-2025/4/13

  • 執筆者の写真: Kotomi Kani
    Kotomi Kani
  • 1 日前
  • 読了時間: 2分

「十字架」マルコ15:1~41


「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」 

                      ーマルコ15:34ー

 

 本日から受難週です。兵庫県では前代未聞の異常事態継続中で、X(旧ツイッター)上にはキリストの受難時みたいな偽情報と恐ろしい攻撃の言葉が満ちています。キリストを十字架につけた当時の祭司長、律法学者、ローマ総督府、群衆の愚かさと罪深さ。それに対して十字架の杯を飲み干したキリストの偉大さ。迫害経験者として学んでみます。

 ➀キリストの発言と沈黙。ー キリストはゲッセマネの祈りの後に「さあ、行くのです。」と、逮捕時に「聖書のことばが実現するためです。」と言い十字架の覚悟を表しました。ユダヤ議会では数々の偽証に対して沈黙し、ただ大祭司の「キリストですか。」という問に「それです。」と答えただけ。続いて引き渡された総督ピラトの下でも「ユダヤ人の王ですか。」という問に対して「そのとうりです。」と答えただけで後は沈黙でした。キリストであるとの自己宣言と十字架の必然性のみを語られた超越的態度。

 ➁加害者らの言動。― 知識階級のユダヤ議会が問題にしたのは神殿冒瀆と神冒瀆。驕りと富に目がくらみ真理から遠ざかっていた彼らは、キリストが語られた神の言葉を全く理解できませんでした。キリストの語った真理をすべて冒瀆だとし、愚かな群衆をも扇動して十字架を要求しました。「十字架につけろ。」との熱狂的叫び、ののしり、あざけりの嵐。行動ではつばきかけ、なぐり、平手打ち、むち打ち、嘲弄、そして十字架刑でした。神の子への無礼千万な言動への神の罰はどれほどかと思います。斎藤氏と支持者の無茶、無法振りにも神は怒っている。

 ➂キリストの勝利。― 人類の救いのために十字架が必要であると解っていたキリストはすべての加害を耐えて全うしました。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」との言葉は十字架の苦しみの極みです。しかし神は捨ててはおらず、暗闇や地震をもって御子の苦難を悲しみ、神殿の幕を裂いて御子の勝利を表したのでした。生まれてからずっと続く「ずるい人」からの加害に辟易し「なぜ?」とつぶやく私。意地悪に負けず、必要な発言と沈黙と忍耐を心がけようと!


 
 
 

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