<ネゲブの流れ>-864-2025/8/3
- Kotomi Kani
- 8月2日
- 読了時間: 2分
「豊かな愛、義の実、神の御栄え」ピリピ1:7~11
「イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。」 ーピリピ1:11ー
私は厳格な家に育ちさらに17歳で聖書に出会ったので、極力悪を避けて来ました。また他の人もそうだと思っていました。しかし昨今、善悪は二の次で好みや利益を優先し善人を自殺するまで攻撃するという事象が起きています。この風潮の中で善を通すクリスチャンとしてどう生き終わりの日を迎えるか、悩む所です。パウロの言葉に学びましょう。
➀恵みを中心とした親密な交わり。― この箇所からもパウロとピリピ教会の親密さが伺われます。パウロは(あなたがたを)「心に覚えている」「慕っている」と言います。それはパウロの投獄中にも福音の弁明立証中にも、ともに恵みにあずかった人々だからです。クリスチャンの交わりは誰かの恵みを我が事のように喜ぶ、私心がない交わりです。悪が幅を利かす時代、この信仰的交わりを持っていることは心強い!
➁パウロの祈り=愛がいよいよ豊かに。―パウロの祈りの一つ目は愛の成長です。ピリピ教会はパウロに物質的支援をしたほどの愛の教会でした。愛に真の知識とあらゆる識別力が加わると愛が豊かになり、真にすぐれたものを見分けることができるようになるというのです。優しさだけでは愛は貫徹できません。私の経験でも、こちらの優しさを悪用する人がいて愛の行いが頓挫したことがあります。愛も善も迫害される今のご時世、人やその悪を識別し御言葉の知識を使って、御心にかなった賢い愛の業を行ないましょう。主お墨付きの愛の業は実を結ぶ!
➂パウロの祈り=キリストの日の恵み。― 祈りの二つ目は彼らがキリストの日に純真で非難されるところがなく、キリストによって与えられる義の実に満たされ、神の御栄えと誉れが現されることでした。今は純真さがバカにされるような時代ですが、恐れず主の前に非難されるところのない生き方を全うしましょう。そうして初めてキリストから義の実(品性聖めの実、伝道の実)が与えられるのです。義の実が沢山なることにより神の御栄えと誉れとが現わされます。少数派であっても信仰の交わり、賢い愛の業、御前の純真さを求め続ける。ただ主に期待して🛐

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