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<ネゲブの流れ>-877-2025/11/2

  • 執筆者の写真: Kotomi Kani
    Kotomi Kani
  • 2 分前
  • 読了時間: 2分

「私達の国籍は天に」ピリピ3:17~21


「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キ リストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」      ーピリピ3:20ー


 先週日米首脳会談が行われ、高市氏のはしゃぎに隠れて日本に不利な交渉が進みました。敗戦以来、日本の食欲のために米国に魂を売る対米従属の状況が継続中。高市氏に首相としての威厳は皆無でした。地上の欲望と魂の高尚さの問題は人間存在につきもので、クリスチャンでも同様です。パウロの「私を見ならう者に」との勧めに学びましょう。

 ➀十字架の敵として歩む恐ろしさ。-キリスト第一に生きたパウロは、霊的祝福のすばらしさを満喫していました。それでピリピの兄弟たちに「私に見ならう者となってください。」と勧め、同時に涙をもって反している人々(信者)のことを記します。彼らはパウロに見ならわないどころか十字架の敵として歩んでいる。神よりも自分の欲望充足が大事。関心事は生活の豊かさや世的成功という地上のことだけ。パウロは警告します。彼らの栄光は彼ら自身の恥、最後は滅びだ、と。自省しましょう。        

 ➁「国籍は天に」と自覚して歩む。-私たちクリスチャンにも地上の生活では未信者と同じように体や心の欲望があり、衣食住も仕事の成功も良き人間関係も必要です。しかしそれらを失う時があることをわきまえ、執着したり過度に求めたりして偶像化しないことが大事です。地上の国籍は日本でもそれはしばらくで、永遠の中では「国籍は天にある」のですから。そしてその天から主キリストが救い主としておいでになる再臨を待ち望むべきです。主ご自身が語られたように、その日がいつか解らないので絶えず目をさましていることが必要です。天を仰ぎつつ。

 ➂キリストと同じ栄光のからだに変えられる希望。-天に国籍がある者らしく生きようとしても今はガッカリすることが多いです。肉体や精神の限界があり、心からは怒りや欲や嫉妬などの悪感情が出て来てまさに「卑しいからだ」を自覚せざるを得ません。それが天では復活のキリストの栄光のからだと同じ姿に変えられるというのです。壁も通り越せるからだ、罪なく光り輝くからだ。何とすばらしいことでしょうか。その日を望み、地上を超越して、高尚な魂で歩みたい。天を仰げば喜びが☺

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