

‹ネゲブの流れ>-886-2026/1/1
「主の恵みの年」イザヤ61章 「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそ ぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。」 ーイザヤ61:1ー 謹賀新年。2026年の幕開けです。毎年学んでいるイザヤ書は恵みの61章です。昨年私は60章1節の「起きよ。光を放て。」から、思い切って上京し恵みの時を頂きました。しかし2節に「やみが地をおおい」とあるように、1年間注視した兵庫県問題からは世のやみを嫌という程味わいました。新年、世はどうであれ、主にある者に恵みは倍加します。 ➀心の傷のいやし。-60:20でも「嘆き悲しむ日が終わる」とありましたが、61章では悲しみや憂いなどの心の傷のいやしは完全です。神である主の霊を受けたキリストが傷ついた者の所に遣わされるからです。慰めが与えられます。悲しみが強すぎてみすぼらしかったのに、頭の飾り(冠)や喜びの油(聖霊)や賛美の外套(聖め)で着飾ってもらえます。昨年出会った「恵み」という賛美から「すべ


<ネゲブの流れ>-885-2025/12/28
「パウロの祈り」コロサイ1:9~12 「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。」 ーコロサイ1:9ー 2025年最後の主日です。私はまだ66歳ですが、父母を送って以来残り時間を意識し始めました。無駄や失敗は避け一日一日を有効に過ごしたいと。そういう意味でも一年を振り返り新しい年を迎えることは意味があると思います。私の最近の目標は内的成長ですが、パウロがコロサイの信徒のために祈っていた祈りはまさに適格です。学びましょう。 ➀真の知識の満たし。-パウロはコロサイ教会の信仰について聞いた日からその信仰の祝福のために祈って来ました。祝福の一つ目は神や神のみこころに関する真の知識に満たされることです。キリスト教信仰は聖書を土台とした知的信仰で、神学的学びが必要です。さらにこの信仰は霊的であるので、霊的な知恵と理解力が必要です。また神のみこころは個々人や時代で違いがあり要注意です。例えば今の日本の教会では“伝道


<ネゲブの流れ>-884-2025/12/21
「信仰の土台」コロサイ1:3~8 「それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。」 ーコロサイ1:4ー 救い主の降誕に感謝します。本日日本中の教会に聖霊が注がれますように。折しも本日東京に、私が信仰的に非常に感銘を受けた韓国のソン牧師御夫妻が来られています。降誕の恵みは過誤や迫害の危険と戦いながら年々大きく深くなります。パウロはコロサイ教会の過誤を指摘する前に現在の信仰とその土台を確認しています。学びましょう。 ➀今持っている信仰、愛、望み。-挨拶の後パウロはコロサイ教会のために祈っていることと神に感謝していることを伝えます。それは彼らのキリスト信仰、聖徒への愛、天の望みを聞いたからです。過誤の指摘どころか彼らの信仰を評価しています。私たちの今の信仰は不完全なもので、不信仰や愛の無さを示されて軌道修正するのが日常です。しかしパウロはまず私たちの今達している信仰を認めて下さるのです。 ➁世界中で実を結び広がり続ける福音。-コロサイ教会の信仰を認めた上


<ネゲブの流れ>-883-2025/12/14
「コロサイの兄弟たちへ」コロサイ1:1~2 「神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟 テモテから、コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。」 ーコロサイ1:1~2aー 12月はクリスマスと歳末を迎える月で、何かと人とのやり取りがあります。デジタル化で手紙や電話よりもメールやラインが使われますが、意思伝達である以上相手への配慮や思いやりが大事です。パウロは自分が開拓した教会ではないコロサイ教会に誤りを指摘する手紙を書きましたが、かなりの愛の配慮をしています。さすがです。学びましょう。 ➀差出人。-コロサイ教会はパウロの第3次伝道旅行のエペソ伝道中に救われたエパフラスによって始められました。彼はコロサイ出身者でパウロの指導下で故郷伝道をしたのです。パウロはこの教会を訪れていませんが、後にローマ獄中で教会の誤りを聞き手紙を書いたのです。誤りの指摘には権威が必要で、冒頭から使徒職がキリスト・イエスからのものだと強調しています。しかし権威だけでは聞き手が引いてしまうので、パウロを手


<ネゲブの流れ>-882-2025/12/7
「主イエス・キリストの恵み」ピリピ4:21~23 「どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」 ーピリピ4:23ー 私は48年前の12月4日(日)、悩みを抱え助けを求めて初めてキリスト教会に行きました。礼拝後私の悩みを聞いてくれた牧師の言葉=「教会に来れば必ず助けがある」を信じ教会に通い続けました。あれから神様を信じ多くの助けと 恵み を頂き過ごして来れました。パウロのピリピ人への手紙の結びは慣用句ですが、 恵み が一杯。学びましょう。 ➀教会のひとりひとりに挨拶を送るパウロの愛。-パウロはローマ人への手紙16章で「〇〇によろしく」と多くの信徒の名前を挙げて挨拶していますが、この手紙ではすべての信徒を念頭に「キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。」と記しています。ピリピ教会が良い教会だからとも言えますが、弱い信徒も含めすべての信徒に平等に「よろしく伝えてください。」と言える彼の愛の心の広さです。つい「あの人に挨拶なんて

























