<ネゲブの流れ>-882-2025/12/7
- Kotomi Kani

- 2 分前
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「主イエス・キリストの恵み」ピリピ4:21~23
「どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」
ーピリピ4:23ー
私は48年前の12月4日(日)、悩みを抱え助けを求めて初めてキリスト教会に行きました。礼拝後私の悩みを聞いてくれた牧師の言葉=「教会に来れば必ず助けがある」を信じ教会に通い続けました。あれから神様を信じ多くの助けと恵みを頂き過ごして来れました。パウロのピリピ人への手紙の結びは慣用句ですが、恵みが一杯。学びましょう。
➀教会のひとりひとりに挨拶を送るパウロの愛。-パウロはローマ人への手紙16章で「〇〇によろしく」と多くの信徒の名前を挙げて挨拶していますが、この手紙ではすべての信徒を念頭に「キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。」と記しています。ピリピ教会が良い教会だからとも言えますが、弱い信徒も含めすべての信徒に平等に「よろしく伝えてください。」と言える彼の愛の心の広さです。つい「あの人に挨拶なんて…」と思ってしまう心の狭さ。反省します。
➁パウロといっしょにいる者たちの愛。-パウロがピリピ教会に手紙を書いているということで、彼といっしょに投獄されている兄弟たちもよろしく伝えて欲しいと言っていました。また投獄地ローマの教会の聖徒たちやカイザルの家(=ローマ政府)に属する信徒たちもよろしくと言っているとのことでした。パウロのキリスト由来の愛が真実であったため、彼の周りの人々の愛も広く豊かだったようです。暖かい愛の循環です。
➂いつもある主イエス・キリストの恵み。-「恵みがあなたがたとともにありますように。」は手紙の結びの慣用句です。私たちも手紙の結びによく「祝福を祈ります。」と書きます。それは恵みは特異なものではなくいつも側近くにあるものだからです。Ⅰコリント10:4の「彼らについて来た御霊の岩から飲んだ。」や詩23:6の「私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」から主の恵みは私達について来る、追って来るものと言えます。キリストの命がけの恵みに気づかず欲張ってつぶやいている私達。霊を覚醒させ信仰の目で見れば恵みに気づき、信仰の祈りを捧げればタイムリーな恵みが注がれる🤷♀️



























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