<ネゲブの流れ>-866-2025/8/17
- Kotomi Kani
- 8月16日
- 読了時間: 2分
「伝道の動機は純真?不純?」エペソ1:15~19
「つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。」
ーピリピ1:18bー
先日の終戦記念日には全国で正午に黙祷しましたが、別時間にやらせ黙祷の写真を撮らせ投稿した知事がいました。投稿の動機は戦没者追悼ではなく自己正当化。人間の高尚な行動では動機が大事で不純な動機の偽善は嫌悪されます。永遠の命をもたらす伝道でも純真な動機が大事です。不純な動機の伝道を超越したパウロに学びましょう。
➀善意や純真な動機による伝道。- 伝道とは救い主キリストを伝えることです。キリストは義なる方で、罪ある人間の身代わりとして十字架上に死に、罪の赦しと救いの道を開いて下さいました。この義であり愛である救い主を伝える働きの動機も当然義と愛であるべきです。相手の祝福を願う愛、善意、純真さがないと伝えることを信じてもらえないからです。良い心で差し出された良い物は受け取ってもらいやすいです。
➁ねたみ、争い、党派心からの伝道。― 意外にも、伝道という良い働きを悪意をもって行う者がいるようです。パウロの時代にはねたみや争い、党派心から伝道し、投獄されているパウロをさらに苦しめようとした者たちがいました。パウロの投獄をいいことに自分たちの勢力拡大を図ったのです。伝道者は教会で尊敬されるので、当人が高ぶれば教会を支配することができ勢力争いが起きます。現代でも、召命なしで伝道者になり結果が出ず伝道者を辞めていた元夫が、私をねたみ、対抗心から再度伝道者を志したことがありました。その動機は他者愛ではなく、自己の成功欲でした。何と神に打たれ、かないませんでしたが。
➂キリストが宣べ伝えられている。-10年前この箇所から元夫の味方をし私を批判する友人がいて苦しめられました。パウロは「見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているので…喜んでいます。」と言い、悪をもご自身の栄光のために使う神の配剤を崇めました。しばらくの苦しみの後、私は元夫の無茶と神の制止に「義なるキリスト」を見ました。私たちが純真な動機で伝道する時、敵対者がいても、キリストは伝えられ、確かに知られて行く。✞

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