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<ネゲブの流れ>-867-2025/8/24      

  • 執筆者の写真: Kotomi Kani
    Kotomi Kani
  • 8月23日
  • 読了時間: 2分

「生きることはキリスト」ピリピ1:20~26


「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」   

                 ーピリピ1:21ー

 

  8月15日の戦没者追悼式で石破総理が13年ぶりに「反省」という言葉を使いました。私は同日の韓国光復節の動画を見て日本の加害の恐ろしさを感じました。独立のため命がけで抗議し投獄され日本人に殺された人々。私が今回調べた人々はクリスチャンで占領という苦難の中「生きることはキリスト」を体現した人々でした。生き方を考えましょう。

 ➀生きることの意味。-キリストに出会いその愛と真理を知り、迫害されてもキリストを宣べ伝え続けたパウロ。今はそのために獄にあり、釈放か?殉教か?未知の状況下でも生死ともに受け入れて「生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」と言いました。パウロの関心事はキリストが宣べ伝えられることと、そのすばらしさが現わされることだけ。彼の生きる意味はまさに「キリスト」であり、世の快楽や地位、名誉、名声ではなかったのです。私の生きる意味も「キリスト」でありたい。

 ➁死を超越した境地。― クリスチャンにとっての「死」は天国でキリストとともに過ごすことです。パウロはその意味で、生か?死か?の選択で「死」を願いました。これは苦しみから逃れるための希死願望ではありません。この世の何ものにも縛られず、死の恐れも超越した境地です。戦争に現されるように、悪は人の命を要求して君臨します。悪と戦うには、この世の命と永遠の命を支配するキリストに頼るのが一番。パウロがどれだけ命の危険から守られたことか。死を超越し、命をかけられる者は強いです。パウロも義士も。そのような強いクリスチャンになりたい。

 ➂キリストのすばらしさ。-パウロは全身全霊でキリストに応答し、啓示も受けて従い続け、数々の奇跡を体験し、本当にキリストのすばらしさを現わしました。私はキリストのすばらしさを幾分知っていますが、まだまだです。韓国では独立を祈願して断指同盟(左手薬指を切って献身を誓う)や血の涙の祈りがありました。その命がけの祈りは35年後、25年後に聞かれました。そして今韓国は神の祝福を受けています。情けない信仰を嘆き、キリストに真剣に応答し、先輩方にならいたい🙏

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