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<ネゲブの流れ>-870-2025/9/14

  • 執筆者の写真: Kotomi Kani
    Kotomi Kani
  • 8 時間前
  • 読了時間: 2分

「自分を無にする」ピリピ2:5~11


「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」    ーピリピ2:6~7ー

     

 悔い改めにより心の病が癒された13年前、悔い改めや謝罪を嫌う日本人の未来に危惧を覚えました。安重根も小国日本の傲慢な占領政策の末路を案じて警告していました。石破氏の後、歴史を修正し戦争加害を否定するような首相が誕生したら日本はさらに没落して行くでしょう。絶対的正義を畏れる精神性が必要です。まずクリスチャンから真のへりくだりを。パウロ曰く、謙卑のキリストの心構えに学ぶことです。

 ➀謙遜の心構えはキリストに見られる。-パウロがピリピ教会の一致のために勧めた「へりくだり」は、みなが主と仰ぐキリストのうちに見られるものだと言います。キリストの地上の生涯は信者が倣うべき見本、模範でした。私達は自分の弱さに安住し、自分は変わろうとせずキリストの助けばかりを求める傾向があります。「キリストに倣いて」が必要。

 ➁自分を無にする、卑しくする。― キリストの「へりくだり」は三つです。(1)受肉=神のあり方を捨てて人となった。これは私たち人間が嫌われ者のゴキブリになる以上の謙卑です。(2)仕える者の姿。人となって支配者の家ではなく貧しい大工の家に生まれ、貧苦を味わいました。(3)十字架の死。偽と欲と傲慢に満ちた俗世で超越的正義に生きたキリスト。俗人はねたみ抹殺するしかなかったという神の子の犠牲。無にするとは特権を主張しないとのこと。不当だ、不条理だと、つぶやき抗議して来たことを反省し、つぶやきも不満も反抗も「無」にしてみようと。

 ➂高く上げられるのは、死にまで従った後。-三つの謙卑に従い通したキリストは復活し昇天し父なる神の右の座につけられました。そしてすべての名にまさる名が与えられ、天と地、地の下にあるすべてがひざをかがめ「キリストは主である」と告白し、父なる神がほめたたえられるという栄光を受けました。栄光は天国で、と地上の報いを放棄して生きることです。処刑間近の安順根が家族に宛てた手紙に見られる天国信仰。未信の叔父にも信仰を勧める手紙もありました。この地上に世的栄光を求めず、最期までへりくだり、自分を無にして生きたい(祈)。

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