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<ネゲブの流れ>-872-2025/9/28

  • 執筆者の写真: Kotomi Kani
    Kotomi Kani
  • 9月27日
  • 読了時間: 2分

「パウロとテモテとピリピ教会」ピリピ2:19~23


「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」

                      ーピリピ2:21ー

 

 最近日本人の心が崩壊し人間関係が殺伐としている状況をあちこちで目にします。遠いニュースの世界でも身近な人間関係でも、です。正しく真実に生きることよりも、人受けし自分が得する生き方が好まれています。この箇所にある、他人のことを「真実に心配している」ような人はいるのでしょうか?クリスチャンはそうありたいものです。学びましょう。

 ➀パウロの人間的暖かさ。-パウロは知性、霊性、勇気のどれをとっても優れた使徒でした。その優秀さは冷たいものではなく暖かい愛と結びついていました。模範的であったピリピ教会が不一致の問題を解決しさらに世の光として輝くならば、それは彼にとって誇り、喜びでした。さらにピリピ教会の現状を知り、励ましを受けたいと言うのです。愛する人々の祝福が自分の喜び、励ましになるというのは愛の人の特徴です。        

 ➁代わりにテモテを。-ピリピ教会の近況を知りたい、励ましを受けたいと思ってもパウロは獄中にあり、身動きが取れません。そこで愛弟子テモテを送ろうと考えました。テモテはパウロに愛され信頼された伝道者で、何とその心がパウロと「同じ心」だというのです。パウロが可哀そうだ、助けようと思う人に対しては、やはり可哀そうだ、助けようと思うのです。困窮者支援の話し合いが決裂するのとは全く違います。

 ➂テモテの素晴らしさ。-テモテはパウロと「同じ心」を持ち、ピリピ教会の信徒のことを「真実に心配している者」でした。心配そうに人の窮状を尋ねて、聞いた後の返事に嫌味を加える人がいます。「大したことない」「他の人よりまし」「気にしすぎ」とか。これは真実な心配ではありません。「喜ぶ者と喜び、泣く者と泣く」という謙遜な愛が必要です。私達人間は絶えず無意識に自分を優先しているので、意識的に自分のことを後にしてまずキリストのことを求めるようにすることです。さらにテモテは心根だけでなく実務でも「りっぱな働きぶり」の適格伝道者でした。心に真実、実務に熱心と向上で、生活し、パウロ→テモテ→ピリピ教会のような愛の循環が私達の周りにも広がりますように。麗しい愛💖

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