〈ネゲブの流れ> -547-2019/3/17
「愛がなければ」Ⅰコリント13:1~3
「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを
焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」
―Ⅰコリント13:3―
「骨折り損のくたびれ儲け」ということわざがありますが、最近そのような経験をしました。一つのことを確認しないで、ある方のため一生懸命世話をしたり祈ったりしたのですが、こちらの思い違いだったため徒労に終わりました。それ以降はむやみに事を始めないように注意していますが、同じように、私たちの信仰や善行も、くたびれ儲けや徒労になることがあるようです。神様に、何の値打ちもない、何の役にも立たないと言われてしまったら大変です。その鍵は「愛」です。点検しましょう。
①愛のない異言。― 私は異言を見たことがなく、どのような現象なのかわかりませんが、聖霊派の教会ではよく行われるようです。おそらく異言で話せるということは信仰的に恵まれているということで誇りになるのでしょう。しかしパウロはどのような巧みな異言で話せても、愛がないなら、やかましいどらやうるさいシンバルと同じだと言います。
②愛のない預言、奥義、知識、完全な信仰。― どれも御霊の賜物にあげられている(Ⅰコリント12:8~10)、すばらしいものです。特に山を動かすほどの完全な信仰はすごいと思います。しかし黙示録16:14に「しるしを行なう悪霊どもの霊」とあるように、愛がなくても奇跡を行なう信仰や力は悪霊から与えられるようです。ならば愛のない預言や奥義、知識もありうるわけで、それらは何の値打ちもないと言われます。
③愛のない施し、犠牲。― 持ち物全部を貧しい人たちに分け与えることも、からだを焼かれるために渡すことも、それ自体は非常に賞賛されることです。しかしその行為に下心ある野望や人の賞賛を求める名誉心が伴っており、愛が欠けていたならば、何の役にも立たないのです。虚栄からのボランティアや慈善事業にも気をつけなくてはなりません。愛こそがすべての行為の規範。愛がなければ、すべては徒労…!
<今週の予定>
・18日(月)Pm6:00~ 学習クラス(小)
・19日(火)Pm2:30~ 幼児英語・預かり
・20日(水)Pm3:00~ 学習クラス(中)
・21日(木)Pm7:30~ 聖書研究祈祷会
・23日(土)Pm1:00~ キッズクラブ
・毎日Am6:00~6:30 早天祈祷会