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<ネゲブの流れ>-895-

  • 2月28日
  • 読了時間: 2分

「救い=肉の欲望の克服」コロサイ2:20~23


「そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。」  -コロサイ2:23-


 春と復活祭が近づいています。十字架と復活はキリスト教の中心で、全人生問題を解決する真理です。私は仏教や神道に救いを見い出せずキリスト教に導かれ、その後長く病んだ心の病もこの世の精神医学ではなく十字架をかすかに見たことで癒されました。パウロがコロサイ教会内の異端を警戒したのも当然です。救いの土台を確認しましょう。

 ➀救いとは肉の欲望からの解放。-政治問題を追っていると、お金が人生問題を解決してくれるような錯覚に陥ります。しかしそれは誤解であり、あらゆる人生問題の根っこは人間の欲望だと言えます。欲望を貪欲と高ぶりに分けて考えると色んな問題行動が説明できます。盗みもいじめも不平も暴力も。貪欲と高ぶりから解放され愛の支配者なる神を信じる時、その人は人格者となり豊かな人生を送ることができます。

 ➁世の教えの限界。-先週、禁欲的修行的儀式的神秘的似非信仰を考えましたが、これらはこの世の教えの影響を受けた異端の産物でした。仏教や神道でも悪行を嫌い慈悲や勤勉を勧め、そのため肉体の苦行が勧められます。「すがるな。味わうな。さわるな。」です。これは解りやすく賢く思われますが、限界があります。規律や修行の厳しさの反動で遊興や犯罪に陥る僧侶や司祭。肉のほしいままの欲望に対しては、何のききめもないのです。薬と休養と傾聴だけの世の精神医学にも限界があって、私は欲と高ぶりと不信仰を悔い改めたことで癒されました。

 ➂救い=キリストとともに死にキリストとともに生きること。-パウロは「もしあなたがたが、キリストともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたなら」と言います。肉の欲望という罪の恐ろしさに気づき、悔い改めてそれから離れキリストとともに新しくされて生きる。これが救いです。これは人間の頑張りではなく聖霊の働きによるもので内面の変化が伴います。愛すること、与えること、へりくだることを喜べるようになりキリストに似た者へと変えられ続けます。この変化、救いは世の人間的戒めや教えではできなかったことでした。命芽生える良き季節。十字架と復活から、さらに恵みを🌱

 

 
 
 

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