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<ネゲブの流れ>-888-2026/1/11

  • 執筆者の写真: Kotomi Kani
    Kotomi Kani
  • 1月10日
  • 読了時間: 2分

「御子は教会のかしら」コロサイ1:18~23


 「また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。」     ーコロサイ1:18ー


  私にとって48年前に初めて訪ねた教会は別世界でした。牧師の説教に真理を感じ、教会の皆さんも暖かかったです。その後様々な教会や様々な牧師に出会い傷つけられ失望することも多かったです。しかしそれは見える現実の教会でのことであり、現実を超越した見えない教会レベルでは恵みだったのでしょう。パウロの教会観を学びましょう。

 ➀御子は教会のかしら。-前回創造者である御子は万物より先に存在していたことを学びました。さらに御子は現在存在する教会つまり御子のからだなる教会のかしらと言われます。御子は復活により死者の中から最初に生れ、後に信仰により神の子となる信者たちの初穂となりました。創造でも教会誕生でも御子は第一のものなのです。御子は知恵そのもので、私たちを教え導くかしらです。御子に従うことは幸い。

 ➁十字架による和解の恵み。-アダムの堕罪以来人間と被造物世界に罪悪が入り神との関係が絶たれました。神の子の集まりである教会の誕生には、この関係の修復つまり和解が必要でした。和解とは赦しで、それは何と創造者なる御子が命を捨て血を流し肉のからだを裂いて実現したのです。パウロは「あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、」と指摘します。適する罪人のために何ともったいないことか。恵みにひれ伏すのみ。

 ➂聖く、傷や非難がない者として御前に。-パウロはこの和解の目的を「あなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるため」と言います。創造者でありかしらである御子が全てを導いておられます。見える現実の教会で味わう苦難は想定内のことで私たちを聖めるためのものなのでしょう。非難されるところのない者となるという目標を心に刻み、パウロの助言を受け止めましょう。「しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。」 御前に立つ日を意識し、恵みを噛みしめ、天を仰ぎ、高尚高潔な信仰の歩みを!


 
 
 

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