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<ネゲブの流れ>―565― 2019/8/4

「復活のからだ」Ⅰコリント15:35~49

「私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、

天上のかたちをも持つのです。」 ―Ⅰコリント15:49―

 Ⅰコリント15章に入り「復活」について詳しく学ぶことができ、新しく目が開かれたような感動を覚えています。奇しくも猛暑の折、血肉のからだの限界を嫌という程感じているため、やがて頂ける「復活のからだ」の素晴らしさがよくわかります。「復活のからだ」の素晴らしさを学び、いっそうの期待と覚悟を持って終末を待ち望みたいと思います。

 ➀復活のしくみは植物の「種」のよう。― 「種」はその植物体よりもかなり小さくて姿も違います。しかし地中で種が死んで(種皮が腐り)芽を出し、見事な植物体に成長します。私達の復活も同様で、死んで腐り新しいからだによみがえるというのです。私は大学の卒業研究でナズナの種子の発芽を調べましたが、なかなか発芽せず苦労した経験があります。変温(例えば半日10度、半日20度)にしたり種皮を傷つけたりして発芽に成功しました。私達も激しい境遇の変化や試練による傷によって肉に死んで初めて、「復活のからだ」に預かれるのでしょう。

 ➁「血肉のからだ」と「復活のからだ」との違い。― 私達の現在のからだはアダムの創造以来のもので、生きてはいても土から造られた物質的なからだです。しかし後に頂くものは生かす御霊によるからだであり、復活したイエス様のからだに似た超物質的からだです。その違いは朽ちるものと朽ちないもの、卑しいものと栄光あるもの、弱いものと強いものというふうに地と天の差ほどあります。7年前に52歳で心の病が癒された私はからだも元気になり、そのまま体調や体力が維持できると思いましたが違いました。からだの限界を感じるようになりパウロの言葉「うめきながら、…からだの贖われることを待ち望んでいます。」(ローマ8:23)がよくわかります。欲望が支配する「卑しい」「弱い」からだから「栄光ある」「強い」からだへと変えられるとは何と素晴らしいことでしょう!目当てはイエス様に似た天上のかたち!堅立不動の歩みを!

 

<今週の予定>

・5日(月)Pm6:00~ 学習クラス(小学)

・6日(火)Pm2:30~ 幼児英語・預かり 

・7日(木)Pm7:30~ 聖書研究祈祷会

・毎日Am6:00~ 早天祈祷会

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西阿知キリスト教会​

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