<ネゲブの流れ>―578― 2019/11/3
「悲しみと愛」Ⅱコリント2:1~4
「私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知ってい
ただきたいからでした。」 ―Ⅱコリント2:4―
イエス様も悔い改めることのできなかった都を見ながら、涙を流されましたが、使徒パウロもまた涙の人でした。罪を悔い改めないコリントの教会に「大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに」手紙を書いたようです。私もかつて、不適切なことをする某教団に対して痛みと嘆きをもって、何通もの手紙を書いたことがあります。しかし何通ものいい加減な返事が返って来て疲れ果ててしまい、その愛の思いをも忘れてしまっていました。罪に留まる人々へのパウロの悲しみと愛の思いを学びつつ、私達も愛の痛みを負える者にされたいと思います。
➀パウロの悲しみとコリントの人々の悲しみ。― 神に近く仕える者は罪に留まる罪人の姿を悲しみます。そして罪から救われるようにと叱責します。その叱責により罪人は別の種類の悲しみに襲われます。罪人が悲しみを解決するために悔い改めればいいですが、悔い改めるどころか反発して攻撃して来る場合は、叱責者はさらなる悲しみに見舞われます。これらがパウロとコリントの人々のそれぞれの悲しみでした。
➁クリスチャンは本来喜びを与え合うもの。― クリスチャンはイエス様の贖いのゆえに神から祝福された者です。その生涯には数々の喜ばしい恵みが伴います。自分の頂いた祝福を証し兄弟姉妹に共に喜んでもらうというのが、クリスチャンの素晴らしさです。ある時は罪や弱さに苦しみ涙しても、救いと癒しの恵みにより喜び合えるはずです。パウロはコリントの教会からこのような喜びを受けたかったのです。
➂他者のために涙する本物の愛=あふれるばかりの愛。― パウロはコリントの人々のためにつらい訪問をし,悲しみの手紙を書きました。「私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくない」という言葉からパウロの負った痛みの大きさが伺われます。私達も他者の悔い改めのために痛みを負える者に!あふれるばかりの愛で!
<今週の予定>
・5日(火)Pm2:30~ 幼児英語、預かり
・6日(水)Pm3:30~ 学習クラス(小学)
・7日(木)Pm7:30~ 聖書研究祈祷会
・9日(土)Pm3:30~ 学習クラス(高校)
・毎日Am6:00~ 早天祈祷会