<ネゲブの流れ>-590-2020/1/26
「キリストのために生きる」Ⅱコリント5:11~15
『また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、
もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために
生きるためです。 ―Ⅱコリント5:14―
一昨日、池袋暴走事故で妻子を亡くされた方のテレビを見ました。その方はあまりのショックで何のために生きたらいいか解らなくなったが、今は亡くなった妻子のためにも再発防止の活動をしていると言われていました。「何のために生きるか?」は普通の生活を奪われた人や真理探究を志す人には大問題です。私も10代の頃からその問題に悩んで来ました。パウロは「自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きる」と言います。どんな生き方なのでしょうか?
➀狂気に見えても、主を恐れて生きる。― 私達のために死んでよみがえった方つまりキリストのために生きるとは、そうでない人からは変わっていて理解不能で、ある場合には狂気の沙汰のように見えます。人ではなく神第一ですから、それは仕方ありません。さばきの権能を持った主を恐れ、その御前に責められる所のないように生きることです。
➁正気をもって、人々の理解を目指す。― パウロは主が恐るべき方であると知っていたので、人々を説得していました。私も自分が経験した信仰停滞時の悲惨さや、私をあざけった人に起こった悲惨な出来事などから、主は恐るべき方だと実感しています。狂気とも見える突出した信仰を貫くことの正しさを、誠実な言動と理論立った説明をもって伝えて行く必要があります。それなくして宣教の実はないからです。
③キリストの愛の支配下に生きる。― 「取り囲んでいる」とは「支配する」とも訳せます。人間による支配は上からの強制的支配です。しかしキリストの愛の支配は全く違い、下からの暖かい愛の支配です。求められるのは喜びや能力を伴った自発的服従です。それはキリストとの深い愛の交わりで、日々新しい知的発見、愛の成長、神の力の実体験があり、感動の連続です。もはや、自分のためになど生きられない!
<今週の予定>
・27日(月)Pm6:00~ 学習クラス(小学)
・28日(火)Pm2:30~ 幼児英語・預かり
・29日(水)Pm3:30~ 学習クラス(小学)
・30日(木)Pm7:30~ 聖書研究祈祷会
・2/1日(土)Am10:30~ 学習クラス(高校)
・毎日Am6:00~ 早天祈祷会