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‹ネゲブの流れ›-604- 2020/5/17

「うわべか中身か?」Ⅱコリント10:7~

『パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。』  ―Ⅱコリント10:10―

コロナの自粛により対面型とは別の人間関係が始まっています。その際どの分野でも大事なのは信頼できるかということでしょう。パウロとコリントの信徒達との間にも再びその問題が起きました。真実な使徒パウロに対して疑い攻撃し、その教えを聞かない者達が出て来たのです。コロナ後の新しい社会を想起し準備しなければならないこの時、信頼できる人を見つけられる視点が必要です。パウロの言葉に聞きましょう。

➀人のうわべだけを見る危険。― コリントの信徒で、パウロのうわべだけを見る人達がいました。「パウロ・テクラ行伝」によるとパウロは背が低くて、髪は薄く、足はがに股で、容姿はぱっとしなかったようです。そして対面した時には、謙虚さのゆえに弱々しく見え、話しぶりも手紙ほど力強いものではなかったようです。しかし人はうわべではありません。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(Ⅰサムエル16:7)

➁人の中身、本質を見きわめる大切さ。― パウロはうわべのことだけを見ている人たちに反論します。「自分もキリストに属している、倒すためではなく立てるために主から権威を授けられている、手紙と同様に行動も重く力強い」と。これは単なる自画自賛ではなく、パウロの実際の姿でした。彼ほどキリストのしもべに徹した者はなく、その権威は彼の身辺で起きた数々の奇跡が証明しており、生き様と行動のすべてが、真のキリストの弟子と言えるものでした。

➂人の本質を見きわめる基準は?― パウロは7章2節で、不正をしたことがなく、そこなったことがなく、利をむさぼったことがないと言いました。私利私欲なく、働きに身を献げているということです。どんな良き業でも自分の名誉や満足のためにやっている人の場合、どこかでボロが出ます。信頼できる人の基準は、私利私欲なし、誠実、本気、熱心、でしょう。まず自分が中身のある人間に!人として、キリスト者として!

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