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‹ネゲブの流れ›-606-2020/5/31

「キリストの花嫁」Ⅱコリント11:1~4

『私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。』    ―Ⅱコリント11:2―

最近の「#検察庁法改正案に抗議します」から始まったツイッターデモでは、多くの国民が現政権の白黒、清濁、正否を判断して様々に発言しています。立場や地位には求められる正しさ、純潔があるということです。キリストの血潮によって贖い出されたクリスチャンという立場にも、求められる正しさ、純潔があります。パウロの言葉に聞きましょう。

➀クリスチャンはキリストの花嫁である。― 全ての人はアダムの堕落によって神から離れ罪の内を歩む者でした。しかしキリストの十字架の贖いは罪の赦しと神との交わりの回復をもたらしました。それを信じるクリスチャンは永遠の命を頂き、終わりの日にはキリストの花嫁として天国に入ることができます。パウロは花嫁の準備をするキリストの友人として、その準備が妨げられないようにと心配しています。

➁花嫁にはキリストに対する真実、貞潔さが求められる。― 私達は入信時には罪赦されただけの罪人でしたが、地上の歩みを通して訓練され、聖い者とされなければなりません。「聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(へブル12:14)「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖い傷のないものとなった栄光の教会」(エペソ5:27)とある通りです。罪、汚れに勝利して、聖く成熟したクリスチャンに。

➂巧妙なサタンの欺きに要注意。― エバを欺いた蛇のように現代でもサタンは巧妙にクリスチャンを惑わして来ます。コリントの教会にも偽教師として異なった霊、異なった福音を持って来た人たちがいました。パウロが皮肉っていますが、彼らは偽教師を歓迎していたようです。実は私は、「思い込みの信仰でもいい。」などと危ういことを言う牧師達に惑わされて、20年間も聖霊の命を失っていました。初代教会の使徒達の警告のように、今も偽教師が教会内に入っています。質より数重視、敬虔さより業重視は惑わしです。聖く、真実に!汚されないように!

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西阿知キリスト教会​

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