‹ネゲブの流れ›—619—2020/9/13
「栄光のキリスト」黙示録1:11~17a
「それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、 人の子のような方が見えた。」 ―黙示録1:13―
得体が知れないコロナに不安を覚えた春の頃、詩篇91:8に心が留まりました。「あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。」ずっと教会内の悪と対峙し同時に政権の悪を追って来た私にとって、確かにコロナは悪者を弱体化させたように見えます。改めて神の支配と御言葉の確かさに驚きます。世界は神の計画通りに終末に向かっています。ヨハネが見た再臨の栄光のキリストの姿から学びましょう。
➀栄光のキリストの威厳。― ヨハネは御霊に満たされてキリストの声と姿を見ました。生前のキリストと特別親しかった彼が、倒れて死者のようになる程の威光と威厳を持ったキリストの姿でした(17節)。真の大祭司らしく足までたれた衣を着、王の王らしく金の帯を締め、足は真鍮のように光り耀き、顔は強く照り耀く太陽のようであったとあります。私達もやがてこのようなキリストにお会いするのです。心引き締めて。
➁栄光のキリストの聖さ。― キリストの頭と髪の毛は、白い羊毛や雪のように白かったようです。これは神の聖さです。皆が真新しい白衣を着ている中で黄ばんだ白衣を着ているのは恥ずかしいものです。また人間では最も汚れる足が、キリストでは光り耀く真鍮のようでした。罪汚れと無縁だということです。純白あるいは光り輝く聖さの前に、醜く汚れた者は恐れをなします。「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように」(Ⅱペテロ3:14)との勧めが強く迫って来ます。
➂栄光のキリストの鋭さ。― 目と言葉の鋭い人は怖いものです。キリストの目は燃える炎のようで、口からは鋭い両刃の剣が出ていました。燃える炎のような目は隠されているものまで全て見透かし見抜きます。両刃の剣のような鋭い言葉は、人の正体を暴き、悪の病巣を刺し通します。罪悪を隠し、装って生きても、再臨のキリストの前には通用しません。誰に会うのか、何処を目指しているのか、真剣に自問自省を!