top of page

‹ネゲブの流れ›-620-2020/9/20

「恐れるな」黙示録1:17~20

「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」 ―黙示録1:17~18―

先週里親会の研修会で、クリスチャン岡山四聖人の一人留岡幸助の映画を見ました。その中で、後に伝道者となる重罪犯好地由太郎が獄中で持っていた御言葉は「神は愛なり」でした。先週は栄光のキリストを学びましたが、やはりこの方は威厳栄光とともに愛なる方なのです。倒れて死者のようになったヨハネに対してキリストが優しく語られた言葉から、再臨のキリストをどのように待ち望めばいいか、学びましょう。

➀ヨハネの上に右手を置いて下さった方。― 神の右手は全能の力を表しており、右手を置くとは大きな励ましです。ヨハネにとって孤独な流刑生活中に見た栄光のキリストの姿は、どんなにか脅威だったことでしょう。終末に近づくと私達の上にも、平和な日常とは違った脅威驚嘆する出来事が起きて来ます。その時キリストは恐れる私達に対してもヨハネと同じように、右手を置いて下さいます。力を頂きましょう。

➁「恐れるな」と励まして下さった方。― キリストはヨハネに「恐れるな」と言い、ご自身を最初であり最後である方(全てである方)、死んだが永遠に生きている方、死とハデスのかぎを持っている方と紹介しました。私達も恐れなくて大丈夫。全能で、生きていて、敵をハデスに追いやることも可能な方が、ついていて下さるからです。また20節は、教会を右手に握り、また教会の真ん中に立たれるキリストを表しています。

➂黙示録を学び伝えること。― ヨハネが黙示を書きしるすように命じられたのは世々の教会のためでした。彼が見た事とは栄光のキリスト(1章)、今ある事とは教会時代のこと(2~3章)、この後に起こる事とは患難時代のこと(4章~)です。順々に学びながら理解し周りの人にも伝えましょう。黙示録は字義通り実現すると言われます。患難やさばきの兆候が始まっている今、一人でも多くの人が救われるために!

最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

西阿知キリスト教会​

bottom of page