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‹ネゲブの流れ›-627-

「なまぬるい」黙示録3:14~22

「このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」         ―黙示録3:20―

 7つの教会の最後はラオデキヤ教会です。ラオデキヤとは「審判を受ける民」という意味で、再臨と審判に備える現代の教会を表しています。ラオデキヤの町は金融、産業、医業が盛んな裕福な町で、教会も裕福でした。そのため自己満足に陥っていて信仰はなまぬるく、叱責のみを受けています。現代の教会も持てる者や余裕のある者の集まりになっていて、同じ様相です。厳しい主の叱責に耳を傾けましょう。

 ➀なまぬるく不熱心な信仰。― ラオデキヤの町は大地震の際にもローマ皇帝の援助を断って自力で復興した程富める町で、誇りがありました。自力救済が可能なため神を頼る信仰はさほど熱心でなく、なまぬるいものでした。現代は共助、公助に重きが置かれており、窮しても人的支援が得られ、信仰もボンヤリ、なまぬるくなっていると言えます。

 ➁人間的には豊かでも霊的には貧乏、盲目、裸。― ラオデキヤ教会の人々は裕福でそれを恵みと考えたことでしょう。しかしそれは御利益的信仰で、キリストの義認(金)やきよめ(白い衣)霊的視点(見える目)などの霊的恵みを自分のものとしていなかったのです。現代の教会も数的増加ばかり求めて、個々人の霊的成長がなおざりにされている感じです。その結果未信者以下の倫理観の牧師まで出ています。ぜひ金、白い衣、目薬を買って、本当に豊かな者となりましょう。

 ➂心の戸をたたき悔い改めを求める主。― ラオデキヤ教会はコロサイ教会の姉妹教会でパウロにも覚えられていました。主はこのなまぬるい教会を愛し「愛する者を叱ったり、懲らしめたりする。…熱心になって、悔い改めなさい。」と言われます。現代の教会に対しても同様です。私は信仰や倫理がおかしい牧師達に、示されて何度も警告して来ました。それは主の愛のノックでしたが、誇り高き方々の悔改めは難しいようです。教会諸共吐き出されないために、ぜひ悔い改めを!審判は近い!

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西阿知キリスト教会​

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