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‹ネゲブの流れ›-640-21/2/21

「御使いのラッパ」黙示録8:6~7

この世界には二つの意志があります。私達人間の意志と支配者なる神の意志です。私達は個人的にも社会的にも、事が障害なくスムーズに進むことを願っています。しかし実際には邪魔する人がいたり、事故や災害があったりでなかなか困難です。今の日本はコロナと五輪開催という困難を抱えています。今日の箇所は災いを知らせるラッパが吹き鳴らされる所です。この世界につき物である災いについて考え信仰を整えましょう。

➀災いは神の意志である。― 第一の災いである血の混じった雹と火が何かは解釈がいろいろです。しかしとにかく、この災いは御使いがラッパを吹き鳴らした時にもたらされました。御使いは神に仕え神の御心に従って働く存在です。この世界に起こる災いは神の意志から出ているのです。10年前の東日本大震災の際には、あのような恐ろしい災害を起こされる神は本当に怖いのだと、震えおののきました。

➁災いには用意と時がある。― 御使いにラッパが与えられてもすぐに吹かず、吹く用意をしました。災い投下には用意があるということです。一つの災いには、刑罰、警告、諭し、救出など様々な意味、効果があります。偉大なる神は観察と熟慮と計算をもって災いを下されるのでしょう。周到な用意。ですから災いの「時」というのも緻密なご計画のうちにあります。私への、災い→悔い改め→信仰回復と精神病の癒しという恵みからも、神の緻密、巧み、見事な計算と計画がわかりました。

➂災いは神の怒りである。― 第一の災い(血の混じった雹と火)は地上に投げられました。香炉が地に投げつけられたのと同じで、神の怒りを表しています。自己正当化のために神の怒りを否定する傾向がありますが、それでは事を見誤ります。大小いずれでも災いに会ったなら、支配者なる神を恐れ、反省し、警告に耳を傾けるべきです。教会内外で神の警告を無視する人が多い今日。神は恐るべき方です!

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西阿知キリスト教会​

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