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‹ネゲブの流れ›-694-2022/4/10

「神を賛美できる者に」黙示録19:3~5


「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」    ―黙示録19:5ー

 

 残酷なことが苦手な私は、日々のウクライナ戦争のニュースに疲れを覚え、しかもキーウ近郊の市民虐殺のニュースには時代錯誤を起こす程ショックを受けています。平和ボケの日本で性善説が当然だと夢心地で生きて来たのかもしれません。しかし現実は人間も世界も想像以上の悪に支配されている。その中で善を求め続けることは殉教者のように命の危険すらあるのかもしれません。終わりの時代には悪魔の働きが強くなるようですが、何とか悪に負けずに戦い続け天国に行った時、心から神を賛美できる者でありたいと思います。そのためには?

 ➀神のしもべであり続ける。― ジャンヌダルクの映画を見ました。彼女は神からの啓示を受けフランスを救った英雄であったのに、異端扱いされ火刑に処せられました。映画中の彼女の言葉です。「もし教会が啓示は悪魔の仕業だと言えというのなら、私は教会を信じません。」地上の権力は政治的権力も宗教的権力もたやすく悪魔の手下になり下がります。地上の権力に抗してでも、神のしもべであり続けることです。

 ➁人間的な大小は無関係。― 「小さい者も大きい者も」とあります。地上の人物評価は、身分や地位、功績によってなされます。しかし天国の評価は違います。地上的評価で小さいとされた者も、大きい者と同様に神を賛美できるのです。地上的にどんなに偉く人気を集めたとしても不正や悪に手を染めた者は、神の前で神を賛美することはできないでしょう。顔すら上げられないはずです。神の評価を念頭に。

 ➂神を恐れかしこむ者である。― 神は正義です。神を信じない人でも、正義を意識し悪をなすことを恐れる人は神を恐れていると言えます。神を信じると公言するキリスト教会こそ、罪の赦しの曲解から内部に腐敗を蔓延させ、しかも神の権威を盾に残虐な強権執行を行う危険にさらされています。神を恐れかしこむとは、真摯で謙虚に義を追い求めることです。キリスト教国の戦争が卑劣極まりないことに心痛みます。永遠に焼かれる大淫婦は背教の教会です。天で神を賛美できる者に! 



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