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‹ネゲブの流れ›-715-2022/9/25

「天の都には神殿がない」黙示録21:22


「私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。」     ー黙示録21:22ー

 

 三週間前、突然目の緊急手術と入院という出来事に遭遇しました。大抵災難には反省事項が付き物で、私には目の酷使と眼科通院拒否という反省点があったので最悪の予後も覚悟して手術を受けました。しかし病院の誠実な対応と高度な技術により視力が回復できそうです。それは主の憐みですが、主の警告も厳しく心に刻んでいます。終末期主が迫って来ると恵みだけでなく悔い改めも起きるようです。主の臨在に満ちた天の都に神殿がないことから、天国への備えを考えましょう。

 ➀神殿は神の臨在の場、神との交わりの場である。― 出エジプト後モーセに幕屋作りが命じられ、長く幕屋が神の臨在の場でした。イスラエル王国確立後ダビデが幕屋に代わる神殿建設を願い、その子ソロモンが神殿を完成しました。その奉献時に主の栄光が満ち臨在が確証されました。またソロモンが「この所に向かってささげる祈りを聞いてください。」と祈ったのは神殿が神との交わりの場であることを示しています。

 ➁神殿は汚れた地上から隔離された聖所である。― 神殿は厚い壁で囲まれ特に奥の至聖所は汚れた地上から完全に隔離された場所です。しかも至聖所に入れるのは身をきよめた大祭司だけ。聖く正しい神が人間が罪で汚している地上に降りて来られるには、これほどの隔離が必要なのです。隔離の壁つまり身を隠せる壁があって初めて人間は神と交われるとも言えます。天の都に神殿がないということは隠れる壁がないということ。私達はありのまま隠すことなく神に前に立つのです。

 ➂天の都への備え。― 天の都の神殿は建物ではなく、万物の支配者である神であられる主と屠られた小羊です。主は燃える炎のような目を持たれた方で(黙示録1:14)すべてをお見通しです。隠れた善行や苦難を誉めて下さるとともに隠れた罪もご存じです。過去の罪は十字架の前に悔い改めるしかありません。小羊が都の神殿であるとは大きな恵みです。同時に十字架の小羊を思いながら、天の都で堂々と御前に立つために聖めを求め続けましょう。私の眼病も聖めの鞭でした!





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