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‹ネゲブの流れ›-716-2022/10/2

「小羊が都のあかり」黙示録21:23~25


「都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。」     ー黙示録21:23ー

 

 目の緊急手術後、安静期間の一か月が経ちました。見えるのですが、現実と見え方が違うという変な経験をしています。今まで見えなかった汚れや傷が見える、色彩が変わった、歪んで見えるなどです。これらの経験を通して光、目、見え方ということを考えさせられました。天の都には神殿だけでなく太陽や月もないのですが、そのことから真の光なる神の栄光が満ちている天国の素晴らしさと、その備えを考えましょう。

 ➀都のあかりは小羊=神の栄光である。― 今の世では昼の太陽や夜の月そして電光がなければ活動ができません。しかし天の都には太陽も月も不要で電光など全く不要です。それは神の栄光が都を照らすからです。屠られ勝利した小羊がものすごい栄光に輝く光を放つのでしょう。出没のある太陽や月と違い永続的光です。見る目に関係なく、神の光の中に全てが明らかにされます。事実も真理も顕わになります。

 ➁都の住人は世界中から。― いよいよ都の住人の登場です。諸国の民とあるので世界中から選ばれた神の民です。彼らは都の光によって歩む、つまりすべてを明らかにする光も平気なのです。ヨハネが「悪いことをする者は光を憎み…光のほうに来ない。しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。」(ヨハネ3:20~21)と言った通りです。また地の王たちがその栄光を携えて来ますが、この栄光は支配搾取した権力の栄光ではなく、キリストゆえの苦難を耐え忍んだ栄光と考えられます。

 ➂都には夜がなく、門は閉じることがない。― 太陽がないので都には夜はありません。今の世では夜は悲しみ、苦しみ、悪の象徴ですが、天の都にはそれら暗いものは一切ありません。すでに悪魔が滅ぼされ悪を行なう者がいないからです。なので都の真珠の門は悪い侵入者を防ぐ必要がなく、閉じることがありません。昔佐渡の田舎の家では鍵をかけなかった、そんな平和です。今の肉体の目や理性の目では決して見えない、解らないものが明らかにされる天の都。その備えは、悪を離れ真理を行なうこと、キリストのため苦しむこと、です。光の子らしく★★












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