‹ネゲブの流れ>-719-2022/10/23
「のろわれるものは何もない」黙示録22:3~5
「もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。」 ー黙示録22:3~4aー
「のろい」という言葉は恐ろしい言葉で、あまりに不幸や災いが続くと「のろわれているのでは?」と考えます。確かにこの世界はアダムの堕罪以来「のろい」の下にあり、事件事故、病や死という苦しみは避けられないという状態です。特に私は、封建的男尊女卑の思想にあやかった男社会の権威と支配のせいで災難続きの、まさにのろわれたかのような人生を過ごしました。ですから「のろわれるものは何もない」と言われると、すごくホッとします。天国の心休まる素晴らしさを考えましょう。
➀神と小羊の御座がある。― 私の生家では仏壇や神棚は奥座敷の暗い部屋にあり、しかもその管理を怖い父がしていたのでそこは怖い空間でした。父は神仏などの偶像を粗末に扱うとのろわれると恐れ、その権威に預かって家族を支配していたようです。偶像は愛ではありません。のろいと支配の偶像ではなく、愛なる神と小羊の御座がある天国は、明るく心休まる空間でしょう。想像しただけでもホットできます。
➁主人は神。仲間の額には神の名が。― 天国において民は神に仕えるしもべです。しもべに不満な人がいるようですが、今の世でも人は誰かや何かのしもべです。一国の首相にしても国の安定や存続に仕え、失敗したら地位も命も失います。天国の主人は神で、しもべに失敗や罰はありません。さらにしもべ仲間は皆、額に神の名がついた善良な民です。今の世では額に悪魔の名がついた人とも一緒に働かなければならず、いじめ、パワハラで大変です。しかし天国には心労はない。
➂神の光に照らされて永遠に王である。― 今の世には光と闇が存在しますが天国では夜つまり闇はありません。すべてが明らかです。今の世では数々の悩みがあり解決策が解らず、絶望する場合もあります。しかし天国には悩みも解決不能の問題もありません。神の光に照らされているからです。そして民は永遠に王です。この王は家臣を持つこの世的王ではなく、栄光ある王職に着くということです。神とともに、神の民とともに、悩みなく、充実した活動ができる至福の天国!楽しみに!
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