‹ネゲブの流れ>-738-2023/3/5
「きよめと不思議」ヨシュア記3:5~6
「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」 ―ヨシュア記3:5―
患者を看取った後「自分が担当でなければ助かったかも?」と自責する医師がいると聞きました。最近の私も何かと自責の思いに苦しめられます。暇があるからか?向上心からか?その自責を精査しつつ、神に認められる心のきよさを持つ者となれたらと思っています。ヨルダン川渡行という奇跡の前日に民が命じられたのは「身をきよめること」でした。神の不思議はきよい所でなされるということを考えましょう。
➀神は不思議を行なわれる方である。― イスラエル人のヨルダン川渡行は、水がせき止められるという不思議な奇跡を伴いました(16節)。ヨシュアは前日にそのことを主から示されていて「あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」と言いました。私が46年も信仰を堅持しているのは、神が度々不思議を行なって私を助けてくれたからです。絶望して行った白浜で三浦綾子さんのテレビ番組を見たこと。どん底でかすかに十字架を見た後病の癒しが始まったことなど。
➁身をきよめる必要性。― この場合の身のきよめとは身体や衣服を洗うとか性的行為を慎むとかの外的きよめですが、それは内的霊的聖別を意味しています。つまり神への信頼と服従、悪やよこしまの除去です。不思議とは神が働いて起こることで、きよい神が働く時には汚れた者は打たれます。神が働く時に身をきよめていないと災いに会うことになるのです。11年前、十字架→きよめ(悔い改め)→病の癒し→諸問題の解決と導かれ、感謝でした。今後も神の不思議な業をたくさん祈り求めているので、神への全き信仰ときよい心を心がけるつもりです。
➂万人祭司の務め。― 続いてヨシュアは祭司に「契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」と命じました。私達クリスチャンは万人祭司です。契約の箱なるキリストと聖書をかつぎながら、未信者の模範となるきよい行ないをし、天国行きの行進の先頭に立って進まなければなりません。未信者以下の不義に陥り地獄行の先頭に立つなどは論外です。きよい天国を目指すきよい生き方の中に神の不思議は頻発!
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