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‹ネゲブの流れ>-743-2023/4/9(イースター)

「水はもとに返った」ヨシュア記4:16~18


  「主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真中から上がって来て、祭司たちの足の裏が、かわいた地に上がったとき、ヨルダン川の水はもとの所に返って、以前のように、その岸いっぱいになった。」

                      ―ヨシュア記4:18―


 イースターおめでとうございます。私は44年前の受洗時のイースター以来様々なイースターを迎えて来ました。思い出深いのはやはり受洗時と11年前の信仰覚醒時です。どちらも奇跡と言える思い出で、また同様の経験をしたいと思うほどです。しかし奇跡は奇跡であり、タイミングと開始と終息があります。水がせきとめられたヨルダン川も水がもどり、何事もなかったかのようになりました。奇跡について考えましょう。

 ➀奇跡には目的がある。― 奇跡とは神の介入による超自然的現象で聖書に多数出てきます。どの奇跡にも目的がありますが、ヨルダン川のせきとめは指導者ヨシュアを大いなる者とするとともにイスラエルの内外に神の御手の強さを示すためでした。この奇跡を通して民の心はヨシュアに結び付き、一致してカナンを攻略することができました。キリストや使徒による奇跡も神の偉大さを示し人々を信仰に導くためでした。

 ➁契約の箱(キリスト)の撤収。― 民がすべて渡り終わった時主がヨシュアに言われました。「…祭司たちに命じて、ヨルダン川から上がって来させよ。」 祭司たちは川の真中から上がって来てかわいた地に足を置きました。民が川を渡る間、川の真中にあった契約の箱が川から上がりました。キリストの撤収です。初め祭司の足が水際に浸った時水がせきとめられましたが、今度は祭司の足の裏がかわいた地に上がった時水がもとの所に返りました。キリストが近づき奇跡が始まりキリストが離れて奇跡が終わるということです。私たちの経験でもあることです。      

 ➂以前の日常に戻る。― せきとめられた水がもとに返りヨルダン川は以前のように水が岸いっぱいに満ちました。百万もの民が渡行したのが嘘のよう。受洗時私がキリストを信じて明るくなったのを見て姉や母や友人が信仰に入り、11年前の信仰覚醒時には心の病の原因が解りそれとの分離が実現しました。この11年間は川底を歩くような必死の日々でした。キリストはすでに川岸に上がり次の戦いに備えているのかも。川底で学んだ貴重な奥義を胸に、最後まで付いて行くつもり✌

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