‹ネゲブの流れ>-747-2023/5/7
「40年振りの過越」ヨシュア記5:10~12
「イスラエル人が、ギルガルに宿営しているとき、その月の十四日の夕方、エリコの草原で彼らは過越のいけにえをささげた。」 ーヨシュア記5:10ー
今国会で六つの悪法が可決されようとしており、それを支持する国会議員の多さに愕然としています。少数でもそれに抗う議員の勇敢さに刺激されて、私も未解決の教団問題に再挑戦しようとしましたが、フラッシュバックと無力感で調子を崩してしまいました。悪の強靭さと人間の無力さ。ヨルダン渡行後5日目に40年振りの過越が行われましたが、これはキリストの十字架を意味しています。十字架の恵みを再考します。
➀神の怒りの過越=赦し。― 40年前の過越は出エジプト前夜。イスラエル人は夕暮れに小羊をほふりその血を家の門柱とかもいにつけました。真夜中滅ぼす者がその血を見てイスラエル人の家を過ぎ越しましたが、エジプト人の初子は打たれました。割礼を受け過越に預かるとは、神の怒りが過ぎ越すつまり赦されるということです。不信仰と不従順で神を怒らせたイスラエルも40年の荒野を経て赦されました。罪に泣いて見上げた十字架から「赦すから生きよ。」との御声を聞けた幸い。
➁過越は神の怒りを表す。― 神の怒りを過ぎ越してもらうために小羊がほふられました。命が差し出されました。キリストは完全な過越のために小羊として命を差し出されました。神の子が死ぬということは、人間の罪が神の子の命に相当するほど重く、大きく、あくどいということです。(私一人が抗っても対抗できないわけです。)神の怒りが過ぎ越されなかったエジプト人は初子を失いさらには紅海の藻屑となりました。
罪に留まり神の赦しを受けない者にはいつか必ず神の怒りが下るはず。
➂過越の食事は祝福のしるし。― 40年振りの過越では「種を入れないパン」以外にカナンの地の産物を食べました。そして翌日からマナは止みその地の収穫物を食べるようになりました。緊急的脱出の出エジプトと不信仰ゆえの荒野放浪を経て落ち着いた安住の生活が始まるということです。以後のカナンの地攻略の祝福がうかがえます。「私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。」(Ⅰコリント5:7) 十字架から値なき者への愛と赦しと祝福の御声が。ただ感謝❣
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